幸せに生きるためのキーワードは「明るく考え・本気でやること」
「趣味はQさん」やる気起しの仕掛け人・山崎きよしさんが笑顔で語る

第46回
南通で「井戸を掘った人」

研修講師として全国の銀行支店長指導に飛び回った山崎は、
多くの銀行頭取にお目にかかりましたが、
名古屋・N銀行のK頭取は群を抜いた人物でした。
2泊3日の研修初日には早目に現れ、
講師山崎に、N銀のビジョンを語られ、
人材育成・研修への期待を示されました。
「この銀行は伸びる」と直感しました。
「業績はリーダーの考え方と熱意で決まる」からです。
果たして18年後の現在、
全国第二地方銀行のトップ銀行となりました。

1985年当時、日本の都市銀行は
北京・上海に駐在員事務所を開きました。
地銀上位のN銀行K頭取は、
あえて江蘇省・南通に事務所設置を決め、
開設準備委員長に庵原孝文さんを発令しました。
当時の南通は遠かった。
上海から長江(揚子江)を船で3時間半、
現地まで6時間かかりました。
南通着任当初の庵原さんは7人目の日本人でした。

テレビも国営放送のみ、娯楽も乏しい、
この地に単身乗り込み、事務所の設立、日本企業の誘致、
地元との難しい折衝が続きました。
その3年後、1988年に訪問した山崎の歓迎会の席上、
地元要人がこんな挨拶をされた、そのメモがいま手元にあります。
「N銀さんが当地に駐在員事務所を開設してくれたおかげで、
 日本企業が多数進出を決定、
 また合弁企業もスムーズに運営されています。
 おかげで当地の経済が活発になりました。
 とくに庵原所長さんの熱意、誠実さ溢れる人柄に
 地元の人たちが深い感銘を受けています」
この気持ちの籠ったご挨拶を聞いて山崎は感動しました。
また、この地で庵原所長と数日間行動を共にして、
この3年間のご苦労がどんなものであったか、
山崎にも、よく分かり感銘をうけました。

庵原所長が、地元に溶け込み、これだけの信頼あってこそ、
N銀が今日のなくてならない存在に発展していったのですね。
次々と企業誘致に成功。
東レ、帝人、富士通がすでにフル稼動、
最近では、王子製紙の進出もほぼ決定、
当初7人の日本人が、いまや数百人となりました。
2年後の08年、長江に架かる
長さ32キロの蘇通長江大橋が完成すれば、
上海までの時間が、現在の6時間から1.5時間に短縮され、
南通は「北上海」と呼ばれるようになります。
長江沿岸地区では最も発展が期待される地域になりました。

庵原さんは、その業績を認められ、N銀役員となり、
日中友好の架け橋になる関連会社の社長となりました。
また、大学院客員教授として日中関係の論文を新聞などで発表し、
中部地区の論客としても活躍中です。
庵原さんは、まさに中国で尊敬される
「南通の井戸を掘った人」となりました。


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