第57回
エンタテイメント・Qさんの先見性
テレビドラマは見ない山崎が、
珍しく二夜連続・4時間「ザ・ヒットパレード」を観ました。
主役が渡辺プロダクション創業者・渡辺晋さん
(柳葉敏郎好演)だったからです。
第1夜は
「テレビが生まれた時代に、芸能界を躍進させた男たち、
夢と希望と情熱に溢れる昭和の日本」
でした。
戦時下の日本は、灯火管制が敷かれ、
空襲警報に脅え、灰色でした。
1945年敗戦、戦後の混乱から少しずつ立ち直りつつあった東京に、
山崎は疎開先長崎から戻りました。
東京の街は一変していました。
華やかな色彩にあふれ、街にはジャズが流れていました。
入学したA学院、となりの席の山口君はハワイアンの舞台、
同学年の詰襟マジメ学生平岡精二君は「学生時代」の作曲者、
それを唄ったペギー葉山は短大生でした。
ロカビリーの日本劇場(通称ニチゲキ)は若者たちで満員、
キップが手に入りませんでした。
山崎はこのドラマに引き込まれ、
学生時代から、銀行新人だった50年代の気分が蘇りました。
後編は「テレビ界・芸能界に立ちはだかる壁との闘い」、
エンタテイメントなど実業と認められないと
経済界から追放された挫折の時代。
米国エド・サリバンショウにザ・ピーナツが出演など、
世界に進出するに及び、
やっと日本のエンタテイメントが認められ、
藍綬褒章を授与された渡辺晋さんが、
間もなく喉頭がんで亡くなられる。
その経過を知って、バラエテイ大好きの山崎は感動しました。
ご自分でも歌謡曲の作詞をされ、
「Q永漢アワー」のラジオの帯番組も持っておられたQさんには、
そのような世界を軽く見る偏見がありません。
いまから20年以上?も前でしたか、
山崎の記憶は確かではありませんが、
Qさんが書かれた中に、エンタテイメントの存在を認め、
こんな記述があったように思います。
芸能舞台の(美空ひばりの?)、
入場券もレコードの売り上げなどサービスも、
製造会社の売り上げと何も変ることはありません。
GDPに計上となり、国への貢献は同じです。
といったような趣旨だったとおもいます。
日経新聞3ヶ月毎に、
主要30業種の産業天気図予測が発表されます。
主要30の一つに「アミューズメント」がはいりました。
この天気図は、快晴から土砂降りまでが、絵で表示され、
一目で分かる指標です。
バブル後の15年。
多くの業種は曇りから雨ないし土砂降りのマークでした。
その中で、一貫して快晴ないし晴れマークをキープしたのは
「アミューズメント」だけでした。
病気の7割はストレスが原因と云われる時代、
ストレス解消、たくさんの人を楽しませ、勇気づける仕事が
やっと市民権を得たということでしょうか。
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