幸せに生きるためのキーワードは「明るく考え・本気でやること」
「趣味はQさん」やる気起しの仕掛け人・山崎きよしさんが笑顔で語る

第64回
「本気」が助けてくれました

「本気」に出合った中学3年生、山崎の状況は、
説明が必要かも知れません。
戦時疎開で東京S学園から転校した、長崎・佐世保のT中学は
地区でも悪名高い中学でした。
転校後、それを知りましたが、
やがて学業中断、勤労動員で佐世保海軍工廠へ通勤、
不器用な山崎は、なれない工具で左指を骨折、
配置換えとなり、荷車引きに替わりました。
照り返しの強いアスファルト上を、
製品を積んで、ひろい工場内を走りました。
工場で製作中の「マル4艇」の符丁で呼んでいた
ベニヤ製のボートは、
戦後、海の特攻隊「震洋」として、知られるようになりました。
やがて沖縄での激戦が伝えられ、
次は九州上陸か、時間の問題といわれていました。

1945年8月、広島・長崎の原爆、毎朝駅で買う新聞のトップに、
「米航空機数機飛来、被害甚大、新型爆弾と思われる」
戦果は誇大、被害は僅少が常の大本営発表としては
異例な報道でした。
8月15日敗戦、中学再開、
鬼畜米英と罵っていたはずの米国進駐軍が上陸すると、
一転して、歓迎ムード。
先生も君子豹変?生徒たちの不信感も高まって、
校長排斥運動、ストライキ、賛成反対入り乱れての混乱。
同級生A君はOO一家の舎弟として殺人罪で逮捕、
半年後、B君は別件の同罪で同じく。
山崎は転校を決意しましたが、
T中からでは受け入れてくれる学校は有りません。

「本気」の詩の一節
「本気でやれば誰かが助けてくれる」は本当でした。
多くの方々に励まされ、新しい道が開けました。

T中学の同級生、あの工場で共に荷車引いた親友K君とは
家族ぐるみの交友60年となりました。
古い奴だとお思いでしょうが(鶴田浩二)、
やがて消えてゆく世代の体験談、
昔話も何かのご参考にして頂ければ嬉しいですね。


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