新入生、荒木尊史さんのQさん経営学実践奮闘記

第93回
中国人の“ちょい昔話し”は面白い!

当社ではオフィス要員として
最近2人の社員を新しく採用しました。
早速、歓迎会をしようという話しになり、
金曜日の夜、10人ほどで
会社近くの中華料理屋に食事に出掛けました。

皆で乾杯をし、取りあえずは目の前に並べられる料理に
次々に箸をつけ、黙々と飲み食いをしていましたが、
30分もすると酔いも手伝って、
またいつもの様に大騒ぎになってきました。
しかし今回は、白酒が登場することなく、
ひたすらビールでしたので場が荒れることもなく、
とにかく皆でしゃべりまくりました。

話題は色々ありましたが、
一番盛り上がったのが“ちょい昔話し”です。
要は、それぞれの子供時代の話なのですが、
これが本当に私にとっては興味深いものばかりで
質問の連続でした。

例えば「生の毛沢東を見たことがあるか?」との問いには、
3人から「あるよー!」との返事が返ってきました。
私を含め、他の若い中国人スタッフも興味深深です。
3人とも
「毛沢東がジープの後ろに立って
手を上げている姿を遠くから見た」
というものだったのですが、
見たうちの最年少は36歳の経理担当者でした。
「え!?何歳の頃に見たの?」との問いに
「3歳か4歳の頃だった」とのこと。
あまりにも強烈に印象に残る出来事だったので
憶えているのでしょう。
それにしても今の中国に暮らしていると、
毛沢東の時代は相当昔に感じられるのですが、
生の目撃者が3人、しかも1人は私とそう歳も変わりません。

中国に一体どれだけの変化があったのか?
それはまさしく想像を絶するものでした。
今は北京には環状6号線までありますが、
24歳の1人を除いて、北京出身の他のスタッフは
環状2号線がまだ無く、
所々城壁だった頃の光景を目撃して憶えているのです。
(27歳のスタッフも見て記憶していました)
また、36歳のスタッフは子供の頃はまだ配給制だったと言います。
引換券をもらって、
母親に連れられ白菜をもらいに配給所へいっていたと、、、。

また、三全公寓がある麦子店街に住んでいる
財務担当の50代の女性スタッフは
「この麦子店街もひと昔前はほとんど畑しかなくて、
車なんて1台も走っていなかった。
でも鼓楼の太鼓の音はここまで聞こえたなぁ」と言います。
清朝以降は年末に鳴らすぐらいだったそうですが、
故宮近くにある“時を知らせる太鼓の音”が、
東の環状3号線近くにある麦子店街まで聞こえることは
現在では皆無でしょう。

皆の話を聞いていると昔の“老北京”が頭の中に思い描かれ、
あれこれと思いをめぐらせました。
それほど遠くない昔に、そんな時代があったとは。
しかも私と普段から一緒に過ごしている仲間達が
経験しているとは。
なんとも不思議な気持ちになりました。


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2007年9月29日(土)

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