10才若く見られたかったら・TOMOKO

今日からはじめる、アンチエイジング生活

第22回
do結婚とbe結婚

私の米国の友人は黒人ですが妻は白人です。
三人の子供のうち妻の連れ子である二人は白人、
一人は二人の間にできた黒人と白人のハーフです。

英国人の恩師はアフリカ人妻と死別後、日本女性と再婚しました。
四人の子供のうち二人は英国人とアフリカ人のハーフ、
一人は英国人と日本人のハーフ、
それに養子が一人です。

私はこんな家族を見るたびに
英米の男が家庭に投入する莫大なエネルギーと
妻や血のつながっていない子供との間に
関係を成り立たせようとする
すさまじい意思力に圧倒されてしまうのです。

キリスト教文化の男たちにとって結婚とは
「do(〜する)」なのです。
男は日々の行動で愛を示します。
子供にお弁当を作ってやり、庭の芝生を刈り、
妻には毎日「愛している」と言います。

日本男性にとっては結婚とは「be(〜である)」なのです。
一度結婚してしまうと
ただ一つ屋根の下に「いる」だけで夫婦ですし、
「親はなくても子は育つ」のですから
家の中に子供の気配が「あれ」ば
それで立派な家族なのです。

キリスト教文化圏の男にとっては「結婚=男女関係」です。
何より男女関係を大切にしますから
妻に愛があるときは全力を尽くしますが、
愛がなくなるときっぱり別れます。
妻が泣き叫ぼうと、子供が何人いようと関係ありません。

それに比べると日本の結婚はbeですから、
愛がなくなろうと、妻がセクシーじゃなかろうと
離婚されることはありません。
もっとも、これには妻に「女」を求める英米の男と違って、
妻を「お母ちゃん」にして甘える日本の男は、
「女」とは別れられても
「母」とは別れられないという事情もあります。
どちらがいいという問題ではありません。
日本の男とキリスト教文化圏の男では
拠って立つ精神的基盤というものが全く違うのです。

しかし、最近の離婚増加をみると、
今や女は夫にdoを求めているのに、
夫は相変わらずbeで済まそうとしていて、
その意識のズレが離婚の原因となっている、
としか思えません。


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2007年11月6日(火)

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