10才若く見られたかったら・TOMOKO

今日からはじめる、アンチエイジング生活

第25回
婆子焼庵

禅の公案(禅宗で道を悟るための研究課題)で私の大好きな話に
「婆子焼庵(ばすしょうあん)」というのがあります。

昔、あるところに一人のお婆さんがおりました。
このお婆さんはある偉い坊さんに帰依していて、
その方のために庵を建て、
若い娘を雇って身の回りのお世話をさせていました。

何年かたったある日、
かねてから婆さんと娘が打ち合わせていた通り、
この娘は後ろから坊さんにしなだれかかって
「ねぇ、こんなときはどうするの?」
と耳元で色っぽくささやいたのです。

しかし、さすがは偉い坊さんです。
彼はきっぱりと娘の誘惑を拒絶します。
ところが、娘に事の顛末を聞くやいなや婆さんは
「私は今までなんという俗物を養っていたんだ!」と激怒し、
たちまち坊主を庵から追い出し、
火を放って庵を焼いてしまうのです。

さて、ここでクエスチョンです。
この坊主はいったいどうしたら
お婆さんを怒らせずにすんだのでしょうか?

このお婆さんがいいですね。
お婆さんが世間一般の常識を持った人なら、
この坊さんを「さすが、高僧!」と褒め称え、
ますます大事にするところです。
しかし、お婆さんはこの坊さんを「俗物」と罵ったのです。
お婆さんには世間と違う
独自のモノサシ(判断基準)があったのですね。

私が思うに、人間が持っているモノサシには三種類あるようです。
一つは世間一般の常識をすべてのモノサシにしている人。
二つめはさまざまな経験をした上で
何事に対しても自分のモノサシで判断するようになった人。

最後にこの世のモノサシを捨ててしまって、
現世を超越した「あの世」のモノサシを持つようになった人。
この世の中で本当にどうにもならないこと、
どうしようもない苦しみや悲しみは
「この世のモノサシ」を用いて解決しようとしても、
どうにも行き詰ってしまうのではないでしょうか?

「婆子焼庵」はひろ・さちや氏の
『禅がわかる本』(新潮選書)に出てくる話です。
ところで、先ほどの質問の答えは見つかりましたか?


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2007年11月13日(火)

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