10才若く見られたかったら・TOMOKO

今日からはじめる、アンチエイジング生活

第70回
庭のナゾ

いつも京都へ行くたびに不思議だったのです。
仏像はさっと見て通り過ぎる人がいるのに、
どうして庭を通り過ぎる人は少ないのでしょうか?
茶髪の若いカップルも、中高年の夫婦も外人さんも、
私もみんな座ってじっとお庭を眺めるのです。
龍安寺でも天龍寺でも大徳寺でも同じです。

去年の暮れに京都へ行きましたが
12月の雨の降る寒い日にもやはりガラス戸を開け放して
冷え冷えした畳の上に座ってみんな長いこと庭を眺めるのです。
単なる観光名所なら見て写真を撮ってオッケーなのですが、
どうも庭には何かそれ以上のものがあるに違いありません。

最近、上田篤氏の『庭と日本人』(新潮新書)を読んで、
やっと長年の疑問が氷解しました。
上田氏によると日本の古い庭にはすべて魂(タマ)
すなわちオーラがあるそうです。
「なるほど!」と深く納得しました。
だから、庭というのは何時間でも見ていられるし、
何度でも同じところへ行きたくなるのでしょう。

スペインのマドリッドには
栄華を極めたスペイン王家の宮殿がありますが、
それを二度見ようとは思いません。
しかし、京都・東福寺の「八相の庭」なら何回でも、
春夏秋冬いつでも見たいのです。

アメリカ東海岸のニューポートという町には
1930年代に財を成した
アメリカの成金が建てた別荘がたくさんあります。
『グレート・ギャツビー』が映画化されたとき
撮影に使われた白亜の豪邸などがありますが
一つ見ればたくさんです。
また、西洋の庭園もどれも同じようなものなので
いくつも見たいとは思いません。

ところが、私は教会建築が好きなので
ヨーロッパの教会は田舎の小さな教会から
ケルンの大聖堂まで随分見て歩きましたが
教会はどんなところでも飽きるということがありません。
どうも、日本の庭とか教会というのは単なる場所や建物ではなくて
何か霊的な日常を超越した宗教的空間なのではないでしょうか。
だから何度同じところへ行っても
飽きるということがないのだと気づきました。


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2008年2月26日(火)

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