10才若く見られたかったら・TOMOKO

今日からはじめる、アンチエイジング生活

第79回
二人のクィーン (その2)

ヘンリーはキャサリンとの離婚がきっかけで
ローマ法王と決別して、英国教会を設立し、自らその長となります。
当時の英国は海の向こうにスペイン・フランス、
背後にはスコットランドと、
カトリック諸国に包囲されていました。
スコットランド女王メアリーは
エリザベスのいとこですが
カトリック国からすれば
ローマ教会が認めていない結婚から生まれた
エリザベスは世継ぎではなく、
メアリーこそ真の英国王ということになります。

メアリーは三度結婚して、
ジェームズという息子をもうけますが、
乱れたスコットランドを統治することはできず、
諸侯の反乱により強制的に退位させられ、
イングランドに逃れ、幽閉された後、
謀反の濡れ衣を着せられ処刑されます。

アンソニア・フレイザーの伝記『Mary Queen of Scots』によれば、
処刑の前メアリーは
カトリックの司祭を呼んでくれるようにと涙を流して懇願しますが
聞き入れられず、右手に十字架、左手にラテン語の聖書を持ち、
自らラテン語の祈りの言葉を唱えながら
1人処刑場へと向かいます。
処刑のとき黒いドレスを脱ぐとその下には真紅の下着、
純白の絹に金の糸で刺繍した布で目隠しをされ、斧で斬首されます。
こうして、メアリーは19年間にも及ぶ幽閉生活の末、
44年の悲劇的な生涯を終えるのです。
私は以前、電車の中でこの場面を読んでいて、涙が出て困りました。

生涯独身で英国を大国にしたエリザベスの死後
英国王になったのはメアリーの息子
スコットランド王ジェームズ1世でした。
彼はイングランド国王になると
母親の遺骸をウェストミンスター寺院に運んで埋葬します。

こうして、生涯一度も会うことのなかったいとこ同士の女王、
エリザベスとメアリーは同じ場所に眠ることになったのです。
私は長い間エリザベスよりメアリーのことが好きでしたが、
考えてみると、夫も子供も持たず、
ひたすら仕事に励む私はエリザベスに似ているのだ、
と最近気がつきました!


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2008年3月18日(火)

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