第5回
クロウトの固定観念よりシロウトの新鮮な発想
株について私がまったくのシロウトであったと言っても、
誰もあまり信用してくれない。
学校は東大の経済学部だし、
銀行の飯を食ったこともあるのだから、
経済に詳しいのは当たり前だろうと言ったりする。
私を株式講演会に引っ張り出したある証券会社の社長さんが、
「邱永漢センセイは作家でもあるけれど、
東大経済学部の出身だから、本当はこっちのほうが専門で…」と、
私のことを居並ぶ聴衆に紹介したことがあった。
その人が専門といったのは、
専門家は偉いものだという先入観があり、
私をその道の権威者として扱ってくれたわけだが、
そのすぐあとに立って、
私はせっかくのご厚意をたちどころに打ち消してしまった。
私の考え方はこうである。
まず第一に、大学の経済学部で習う経済理論と
株式投資は何の関係もない。
その証拠に、私は東大の経済学部で勉強をしたが、
私に難解な経済理論の手ほどきをしてくれた先生方のなかで、
株で金を儲けた人の話は寡聞にしてまだ聞いたことがない。
名前を言えば、誰でも知っているさる有名な大先生のごときは、
株をやって大損をし、奥さんにバカにされたそうである。
第二に、専門家とは何ぞや、というと、
それはーつことに長く従事し、
比較的豊富な知識と体験を持っているということにすぎない。
人体の病気のように、ほぼ同じ条件のもとで
ほぼ同じ病状を呈する場合は、
確かに経験の豊富さが役に立つが、
景気の予測や相場の見通しのように、
条件が一回一回違ったものになると、
過去に経験を持っているばかりにかえって
判断を見誤ることが多いのである。
もし経験が株式投資の役に立つなら、
投資家は年の順序に金を持っているはずである。
また、兜町で働いている人たちは、
朝から晩まで相場とにらめっこをしているのだから、
みんな大儲けをしているはずである。
それがそうならないで、
ズブのシロウトがあとから出てきて大儲けをするかと思えば、
本職の証券会社の社長さんが引責辞職したりするのは、
運不運もあるけれども、
明らかに先の見通しと打つ手に違いがあるからである。
そして、私自身の観察によれば、
変遷する世の中にあっては、
経験者よりもシロウトの方が
常識で目を覆われていない分だけ
有利な立場に立たされるのである。
このシロウト主義は、単に株の世界だけでなく、
私の著述や事業を通じて一貫して流れる処世態度になっている。
たとえば、私は『ゼイキン報告』も書いたし、
『漢方の話』も書いた。
『銀行とつきあう法』も書いたし、
『東洋の思想家たち」という哲学の解説書も書いている。
これらの本は私をそれぞれの道の専門家に仕立ててくれたが、
私は本を書くまでは、
それらのことについては
ほとんどたいした知識を持っていなかった。
ただ、大勢の人が興味を持つであろう問題に
私自身が興味を持つようになったとき全力投球で勉強したので、
短い間に、いわゆる専門家と
肩を並べられるだけの知識を得ることができたのである。
しかも、その場合、専門家でなかったために、
専門家的発想をしないですんだことが、
私の考え方に一種の新鮮さを与えてくれたように思う。
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