第6回
お金の扱い方にもノウハウがある
私はこの四十年余り、お金を個人単位、せいぜいのところ、
企業単位でとらえる形で、何十冊かの本を書いてきたが、
ジャーナリズムの私に対する風当たりは冷たいものであった。
どうしてかというと、
ジャーナリズムで禄をはんでいる人たちには、
第一に、天下国家という意識と使命感があり、
個人の財布の中身に奉仕するような考え方を
さげすむ気風があるからである。
第二に、そういう人たちも、
しょせんサラリーマンである以上、
ジタバタしても、きまった僅かな収入しか得られず、
他人が自分とかけはなれた発想で、
自分たちの想像を超える収入を得ることに対して許せない
という気持ちが働くからである。
わかりやすいコトバで言えば、嫉妬と言いなおしてもよいだろう。
そういうわけで、
ジャーナリズムは金儲けを蔑視するばかりでなく、
金銭学そのものまで否定してかかっているから、
金儲けゃ株式投資を扱う別のジャーナリズムが
新しく成長してきた。
もともとお金儲けというジャンルは、昔々からあるが、
経済が発展し始めるとともに、
経済雑誌や利殖雑誌が次々と生まれ、
経済評論家とか株式評論家という人たちが
メシを食べていけるようになったのである。
だから大新聞や総合雑誌を大ジャーナリズムと呼ぶなら、
これは小ジャーナリズムとでも言ったらよいだろうか。
大ジャーナリズムは、いまでもなお、
これらの金儲けの先生を、
天下国家を論ずる経済学者と区別して、
街の経済評論家として小バカにしている。
私の場合は、大ジャーナリズムが承認した
小説家からそういうジャンルに入り込んだので、
大ジャーナリズムもどう扱ってよいか困惑し、
長い間、存在を無視することによって、片づけられてきた。
しかし、最近は私たちの生活の中で、
経済の占める比重が大きくなったせいもあって、
だんだん「私経済」の存在を無視できなくなってきている。
文化と経済の隔たりも昔ほどではなくなってきている。
ここまで来れば、経済学の中には
「金銭学」というジャンルがあるんだと主張しても、
耳を傾けてもらえるのではないだろうか。
それは、大学でも教えてくれないものだし、
家庭でも教えてくれないものである。
同じことを逆に言えば、誰も教えてくれないから、
社会人として世に出て行くうちの息子たちには
ぜひ聞かせたい学問だと私は思っている。
ついでに申せば、日本語で「学問」というと、
大学教授が講壇の上から教える教材のことであるが、
中国語では、”ノウハウ”のことである。
たとえば、「料理屋の経営にも、深い学問がありますね」
と中国人は言う。
お金の扱い方にも、当然ノウハウはあるわけだから、
このテキストに「学問」という字がついても
少しもおかしくはないであろう。
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