目標は「中金」持ち!

第7回
豊かな社会では、お金の話だけでは心に響かない

私は利殖の話を書きながら、
ときどき矛盾を感じることがある。
というのは、私の話に耳を傾けてくれるのは、
お金儲けの上手な人ばかりで、言ってみれば、
そういう人たちが
もっとお金持ちになるのをお手伝いしているようなものである。
つまり私の話など聞く必要のない人が私の話を聞き、
私の話を聞く必要のある人は
あまり私の話に耳を傾けてくれないのである。

それでも本が売れて、講演のスケジュールは
年中ギッシリ詰まっており、
収入もそうバカにしたものではないから、
頭を抱え込むほどのことではない。
結局、世の中には、「お金に縁のある人」と
そうでない人がいて、「お金に縁のない人」でも、
ちゃんとメシを食べていけるだけの
豊かな世の中になったのだから、
それはそれでいいじゃないかということになる。
しかし、世の中は刻々と変わって行くから、
お金儲けの情報も昔と同じであってよいわけがない。

お金儲けをしようとする人の心の心理も
また以前とは違っている。
「こういう具合にやれば、儲かりますよ」
という情報をズラリと並べて、
よりどり見どりでやるようなやり方は、
もともと私の性に合わないのである。

かといって経済に対する私の見方は、
経済学者と呼ばれている一群の人たちとも違う。
彼らは経済現象を総花的にとらえ、
それを数値で表現しようとする。
割り切れない部分が出てくるとそれを無視して、
数字だけでころがしていくから、
しまいに実社会と全く関係のない高等数学の遊びに堕してしまう。

私の経済学は自分のポケットの中の一万円札から出発する。
その一万円札が自分のふところから出て行って、
税務署の手に入れば、国家予算に化けるし、
バーの酒に変われば、
ホステスのネグリジェくらいには化けるかもしれない。
あるいは彼女のボーイフレンドの
ネクタイに化けることも考えられる。
そういうネグリジェの会社や
ネクタイの会社が私に講演を依頼すれば、
その一万円札がまた私のところへ還流してくるが、
そういう会社に講演を頼まれることはあまりないから、
実際は、多摩川から放流された鮭の子が太平洋からオホーツク海、
ベーリング海峡とめぐりめぐって
還流してくるくらいの遠まわりをして戻ってくる。
「おあし」というくらいだから、
ボロボロになって日銀に回収されるまで
次から次へと歩きまわるのがお金である。
それが子を連れて帰ってきてくれるようにするには
どうしたらよいかー
というのが私の経済学であり利殖学である。

だから、私は総花的な話はしない。
デフレが一番問題になるときは、
デフレ対策に重点をおいた投資の仕方について述べるし、
経済摩擦が激しくなってくれば、
どうやってアメリカの日本に対する不満を緩和するかを考える。
またある地域で商売ができなくなったら、
どうやって地域再開発をするかに頭を使うより、
次の新興地はどこか、
そこへ動いてどんな新商売をやったらよいか、
について知恵をしぼる。
ほかのこまごまとしたことは私にとってはまあ、
どうでもよいことなのである。

第二に、私は自分に実行できないようなことは話さない。
土地を買いなさい、マンションにしなさい、
いや、株を買うならこれだ、というのは、
私が現に実行していることか、
これから実行しようとしていることである。
私の提案したことがどの程度の打率になっているかは、
私の信奉者たちが一番よく覚えてくれている。
しかし、これだけ豊かな世の中になると、
「お金だ、お金だ」と言っても、
もうそんなに私たちの胸には響いてこない。
もう少し違った角度からの切り口があるのではないか、
と今の私は思っている。





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2013年11月22日(金)

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