第11回
ケチがバ力にされるのは、義理人情に欠けた場合だけ
それでいて、人からよく言われないのは、
使うべきときのお金を使わず、
金銭的に義理人情を欠くことが多いからである。
たとえば、会社の同僚に「一杯やっか?」と誘われたときに、
無駄なお金を使いたくない人は、
「今夜、用事があるから」とか何とか言って断わる。
また一緒に夜遊びに行っても、財布の紐が固く、
いつも「ご馳走さまでした」と言う側にまわる。
そういうことを繰り返しているうちに、
「あいつはケチだぞ」「あいつを誘わない方がいいぞ」
と評判が立って仲間はずれにされるようになる。
要するに、「つきあいが悪い」といって敬遠されるのである。
「つきあいが悪い」というのは、
確かに処世上の欠点のーつであるが、
必ずしも致命的な欠点ではない。
もし「つきあいの悪さ」が仕事の上でも完全に孤立を招き、
上司からも同僚からも相手にされなくなれば、
出世の妨げになるかも知れない。
しかし、世の中には「女癖の悪い人」もあれば、
「経済観念のない人」もあれば、
「怠け人間」もいる。
その他さまざまの欠点に比べれば、
「目的意識のある」欠点であるから、
他人に迷惑をかけることもないし、
仕事の上に支障をきたすものでもない。
だから、仕事熱心であるとか、事務能力があるとか、
責任感が強いとか、他の美点を周囲に認めさせることができれば、
「ケチ」であることは秘される欠点の1つである。
「ケチ」といってバカにされるのも、
要するに義理人情に欠けた場合だけであって、
自分が自分に対して「ケチ」なのは、
むしろ美徳といってよいだろう。
だから、若いときに、貯蓄の目標を立てて
「ケチ」を実行に移すときも、
極端に義理人情を欠くような行為だけは
避けるように心がければよい。
たとえば私くらいの年齢に達すると、
冠婚葬祭に出かけて行っても、
分相応の包み金を期待される。
だから、分相応より少し多めにお金を出すことが
人によい印象を与える。
少女くらい支出が増えたからといって、
生活に支障をきたすわけでもないし、
少々ケチったからといって財産が増えるわけでもない。
お祝いやお香典の多寡によって
ふところ具合が影響を受けないようになった立場の人は、
少之奮発をするのが上手な処世術であろう。
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