目標は「中金」持ち!

第25回
豊かな社会では、お金の追求よりしあわせを優先させるべし

肝っ玉の小さい人は、
収入は少なくとも生活の安定した職業にしがみつくが、
元気があって冒険心に富む若者の中には、
就職先(そのほとんどが国営事業)をとび出して
個人営業に乗り出す者も多い。
そういう独立自営業を中国語では「個体戸」と呼ぶ。
自由市場もあれば、個人商店も認められるようになったので、
農水産物を仕入れてきて市場で売る者もあれば、
金槌一本からはじまって自動車の修理をやったり、
電気釜や冷蔵庫をつくる工場を手がける者も現われる。

こういう「個体戸」の将来の運命を決するのは、
それこそ独立に際してどんな業種を選んだかということであろう。
将来性のある業種にうまくぶつかっておれば、
大事業家になることも夢ではないし、
反対に十年やっても二十年やっても、
昨日の繰り返しにすぎなければ、
一生が小商人で終わることになる。

しかし、たとえ小商人であっても自営でやれば、
ラーメン屋をやっても、果物店をやっても、
1日でサラリーマンのサラリー程度の稼ぎをするのは
さして困難ではないから、
一か月で万元戸になれる。

それだけでも本人にとっては有頂天になることだから、
「個体戸」になったことの喜びは大きく、
どれが本当に自分のためになるかを選択している余裕はない。
少なくともいまの段階では、
脱サラをすることの中に生き甲斐があり、
お金を稼げることがしあわせと一致している。
そういう人にとっては、お金儲けのできることが
しあわせそのものなのである。

ところが、日本のように、職業の自由があっても、
職を変える人の少ないところでは、
最初に選んだ会社がその人の一生を決める。
それも生産現場か、販売部門か、与えられた部署によって、
メーカーに居ながら、セールスマンであることもあれば、
サービス業でありながら、
機械工とか経理マンである場合が考えられる。

こうした立場におかれた者が、
自分に与えられた仕事を自分の天職と考えることができるとか、
割合に自分に似合った職業として受け入れることができれば、
職場のあり方や人事に対する多少の不満があったとしても、
まあまあ、しあわせな方だと言ってよいだろう。

反対に、もしこれが自分に合わない職業だということになったら、
かなりみじめなことになる。
私ならすぐにも新しい仕事を探してよそへ移るが、
世の中には不満をかこち、ブツブツ言いながらも、
同じ職場にしがみついている人が結構たくさんいる。

こういう人たちは、
職業は生活の資を得る手段にすぎないと割り切るよりほかないし、
勤務時間が終わったあとに、
仕事以外のところで自分の喜びを見つけるよりほかない。
そのおかげでパチンコ屋やカラオケや
赤提灯が繁盛しているのであろうが、
同じ一生を送る立場からすれば、収入が多いかどうかとか、
きこえのよい職場であるかどうかといったことよりも、
自分の性に合った職場であるかどうか、
を優先させるべきであろう。

退勤時間までに時計を五回も十回も見るような職場よりは、
仕事に夢中になって一日が
すぐにも終わってしまう職場の方が人をしあわせにする。
そういう職場を選ぶことは、
いまのように大不況のさなかでは
容易でないと首をふる人もあろうが、
人手不足でどこへ行っても
引っ張り凧だった時代にも何もならなかった人が、
そんなことを言っても気休めでしかない。
人が自分の性に合った職業を選ぶかどうかは、
その人が本当に自分のしあわせを追求する気があるか
どうかと関係があって、
環境のきびしさの問題ではないのである。

きびしさという点では、
中国人の方が日本人よりずっときびしい環境におかれている。
食うや食わずの人はお金のために働く。
お金のために働くことの中にしあわせを感ずる。

だが、日本人は既にそういう段階を通りすぎているので、
お金としあわせを分けて、お金とは別にしあわせを追求する。
それだけ日本人が物質的に豊かになった証拠だが、
そうなれば、お金の追求は二の次にして
しあわせを優先させるべきであろう。
その手始めとして、たとえ転業転職の困難な時代であろうとも、
自分の仕事を再検討することから始めるべきである。





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2014年1月3日(金)

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