第30回
夫に選ぶなら、勇気があって楽天家を
昔の人はほとんど交際らしい交際もせずに、
周囲の人たちの見立てで見合い結婚をした。
それでいて無事一生を終わる人が多かった。
いまも見合い結婚がないわけではないが、
そういう場合でも、しばらく交際してから結婚生活に入るし、
見合いなどしないで自分たちで相手を選んで
結婚をするのが当たり前になっている。
なかにはしばらく同棲生活をして
子供ができてからあわてて結婚式を挙げる人もある。
それだけダメ押しをして結婚しているというのに、
逆に離婚が増えて四組に一組は離婚するというのは
一体どうしてだろうか。
一番の原因は、女性に経済力がついて、
昔のようにガマンをしなくなったからであろうが、
本人の目に頼るよりも、
周囲の目のほうが案外確かだということでもあろうか。
人はあれこれと選り好みをするが、
最終的には世の中のたいていの男や女が
それぞれに相手を選んで
何とか一緒に暮らすようになっているのだから、
人間にはそれぞれ環境に適応していく能力があるものであり、
不平不満があっても何とか協調してやっていけるものなのである。
したがって、自分にとって
どんな人と一緒になるのがしあわせかという問題はあるが、
自分の顔形とも相談しなければならないし、
自分の生まれや能力や学歴とも相談しなければならないから、
そう高望みをするわけにもいかないのである。
もちろん、いまの時代は男も女も、
結婚をする代わりに一人で暮らす道がひらかれている。
とりわけ一生を男に頼らないで
一人暮らしをする女性が増えている。
その中には男選びに失敗した人や
結婚で苦杯をなめた人も含まれている。
仕事を持つことによって生計が立ち、
気楽に暮らせたらその方がいいと思う人が増えるのは
理解のできないことではない。
しかし、女の人にだって男を選ぶ権利があるわけだし、
結婚するしないは別としても、感じのよい、
たのもしい男に出会うことは望ましいことであるに違いない。
男の目で見る男の魅力と、
女の目から見た男の魅力は違うかもしれないが、
もし私が女なら、男から見ても女から見ても
同じように魅力のある男性を選ぶ。
男の選ぶ男の友達は「六分の侠気、四分の熱」というが、
私なら「ちょっと勇気があって、楽天家」ということになる。
「ちょっと勇気があって」ということのなかには、
もちろん、おとこ気もあるし、情熱も含まれる。
女にやさしいというのも情熱のうちに入るだろう。
なかでも大切なのは、人生に対しても、
仕事に対しても積極的で、物おじしない性格である。
そういう熱心さがあれば、人間は少々頭が悪くても、
また能カに欠けるところがあっても、
着実に点数を稼いでいけるものである。
また、上司から認められて
出世街道からもはずされないですむものである。
しかし、何が大切といって、
いつまでもクヨクヨしないことくらい大切なことはないだろう。
世の中を生きていく上で、
何事も順調にスイスイといくことなど絶対にあるものではない。
人の一生にはバイオリズムというのがあって、
スイスイといったあとには必ず下降線があって、
何をやってもうまくいかなくなるときがくる。
そのときにいつまでもクヨクヨして、愚痴をこぼすだけでなく、
周囲の者にまで当たり散らす男がある。
しかもそれが習い性になって
自らの前途を自ら閉じてしまう人がある。
反対に、どん底に落ち込んでも
なお挫けずにどん底から這い上がろうとして努力する人がある。
そういう人は地獄の底にいても
青空を頭の上にいただいている楽天家である。
もし私なら、そういう男を自分の連れ合いに選ぶ。
そういう男はいつも家にいて
女房の相手をしてくれる亭主でないことが多いが、
いつも変化の多い人生を送ることになるので、
退屈しないですむことだけは確かである。
人生もハ十年の時代になったので、
退屈をする前に次々と変化に見舞われて、
離婚など考えているヒマもないうちに
一生が終わることは間違いない。
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