第31回
自分の貴人は自分で探せ その1
「野心家の時間割」という本を書いたときに、
貴人についてふれたことがある。
貴人というと、身分の高い人と思うかもしれないが、
中国語では、その人に出会ったことによって
出世のきっかけができた生涯の恩人のことである。
その人のおかげで道がひらけたのだから、
自分にとって貴重な人というほどの意味である。
人は一生の間に必ずそういう人に出会う。
その人がいたおかげで
今日の自分があると思う人に出会うことは
運がつき始めるということだから、誰しも望むことである。
人の一生は人と人との関係でひらかれていくものであるから、
それは運命の出会いとでもいうべきものであって、
そういうことがいつどこで起こるかを予言するのは
占いの分野の仕事である。
だから、四柱推命で、どんな星の下で
どんな運命に見舞われるかを占うときも、
「いつどこで貴人に出会うか」は重要なテーマのーつである。
「あなたはいついつ貴人に出会います」といわれると、
嬉しくなって思わず鑑定料をはずみたくなるほど
心の躍ることである。
私自身も若いときに「あなたは年若くして成功する人です」
といわれ、「その時期には貴人が道をひらいてくれます」
と念を押されて、
本当だろうかと思わず眉に唾をつけたことがあった。
まだ二十代で香港に亡命して
貧乏生活から辛うじて脱け出した頃のことだが、
生年月日時と自分の名前に、
きめられた鑑定料を添えて渡しただけで、
占い師本人に会ったこともなかった。
やがて郵送されてきた鑑定書を見ると、
毛筆で書かれた筆跡も文章も見事なもので、
当たる当たらないは別として、
中国には私が学校で受けた教育とは
別の学問の分野があるんだなと感心した。
その鑑定書の内容には、いまふりかえってみると、
なるほどと頷けるものもあるが、
見当はずれの予言もたくさんある。
たとえば、私は六十歳すぎで死ぬと書かれており、
まだ二十代だったから六十歳はずっと先のことと思って、
さして気にもしなかったが、いま七十歳をすぎても
まだちゃんと生きているから、
占いは当たらなかったことになる。
また、子供は四人生まれると書いてあったけれども、
実際には三人しかいない。
もっとも私の隠し子だといって
台湾であちこちお金をだましとって歩いた男の子がいると、
風の便りにきいたことはあるが、本人に会ったこともないし、
身に覚えもない。
さらにまた、「妻も貞淑だが、妾も英明」と、
お妾さんがいることになっているが、
カミさんは一人でももてあましているのに、
とてももう一人持つだけの心の余裕はない。
次回に続く
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