第36回
四十歳で始めた仕事は、人生後半を生きるための仕事
四十歳で一応区切りをつけて、
第二の人生をスタートさせるとなると、
あとは定年制のない人生が待っている。
そうは言っても、最後の十年は体力や健康の問題もあるから、
定年がないからといって死ぬまで働くことになるとは限らないが、
四十歳すぎてから選んだ職業が定年とかかわりがなければ、
働きたい間、働くことができる。
そういうスタートを切るのに、
四十歳は「かなり経験も積み」「多少の貯蓄もでき」
「創業をする意欲も、困難に立ち向かう気力もある」
ちょうどよい年齢である。
「だから、もし会社が四十歳定年制をしいてくれなくても、
自分で自分のクビを切ればいいじゃないか」と、
私は脱サラをする若い友人たちにすすめた。
その頃、自分で決心して自分のクビを切った人びとは
いまでは六十代、五十代になっている。
何百人という従業員を使う中堅企業の社長に出世した人もあるが、
何人かで細々と渡世をしている零細企業主のままの人もある。
大は大なりに、小は小なりに何とかやっていけているので、
少なくともいつ会社を辞めさせられるかを
心配する立場にはいない。
四十歳か、三十五歳で始めた仕事は、
人生後半を生きるための仕事だからである。
そういう私も、サラリーマンをやったのは
二十三歳から二十四歳までの一年間で、
以後は自分で自分に鞭打って生きる事業に終始してきた。
当然、定年になったら
どうしようという心配をする立場にはいない。
その代わり、「仕事がなくなったらどうしよう」
「会社が潰れたらどうしよう」という心配に
つきまとわれているから、
心配の大きさはサラリーマンの比ではない。
定年のことこそ心配しないでよいが、
二十五歳のときも苦しんだし、
四十二歳のときも苦しんだし、五十五歳のときも苦しんだ。
人間の厄年はちょうどそういう環境に
めぐり合わせたというよりも、
人の一生にバイオリズムがあって、
その変わり目というか、節目のところに来ると、
身心共にドッと疲れが出て、
仕事も身体も不調におちいってしまうのかも知れない。
昔なら二十五歳、四十二歳、
六十歳が男の厄年と言われているが、
ライフ・スタイルの移り変わりによって
昔の六十歳の厄年が仕事の関係で
五十五歳に早まったのなら、
六十歳は解消したのかと思ったが、
どうやら二分されて、
人生最後の仕事の選択に迷うのは
少し早まって五十五歳になった代わりに、
本格的な老齢期を迎える身心の衰退期は
医学と平均寿命によってハ十九歳まで延びたらしい。
もちろん、個人差があって、
俗に前厄と後厄とかいうように一年前か、
一年後のズレは生ずるが、
人間の身心の変化は生物学的なものだから、
オトナになるのも大体、似たような年齢なら、
脳細胞や運動神経が衰えるのも環境や食べ物が同じなら、
大体、同じ年齢の頃に起こるらしいのである。
二十五歳の厄が社会人としての入口に立たされた
武者ぶるいだとしたら、
六十九歳の厄はその出口を出ようとしている
人生最後の戦標かも知れない。
そこで息が完全にとまってしまうわけではないにしても。
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