第37回
定期預金をして金持ちになった人はいない
私が東京に住むようになってから四十六年たつが、
デフレが続くこの数年を除けば、
どの十年間に区切っても生活費が倍以上にならなかったことは
一度もなかった。
仮に、お金を銀行で年六パーセントの定期預金にして
利息に一切手をつけず複利で殖やすと、
十年間に1・791倍になる。
この数字は二〇パーセントの源泉課税を考慮していないが、
無税だとしても生活費が十年間に倍以上になっておれば、
預金の元利を合わせても、
物価には遠く及ばないことになる。
資産に至っては十年に三倍とか、
五倍が珍しくなかったから、
定期預金の利息では完全に追いつかないばかりでなく、
金額は同じでもお金の値打ちは逆に目減りをしてしまっている。
だから私は冗談半分に
「定期預金をして金持ちになった人はいませんよ」と、
この間の説明をしたが、
銀行の人たちは私がこの話をすることをとても嫌がった。
たとえ冗談半分でもそれは真実をついていたからである。
物価の上がるときに定期預金をするのは
徒歩で自転車のあとを追うようなものである。
定期預金でせっせとお金を貯めて、
まとまったお金になってから、
土地を買おうと思うのは、
テクシー※で自動車に追いつこうと試みるようなものである。
※テクシーとは歩くさまを表す
擬音語「てくてく」と「タクシー」をかけた言葉
この間の事情がわかれば、
インフレの下では借金をして先ず欲しい物を手に入れ、
利息を払いながらお金の目減りをするのを待つ方が賢いと
私はアドバイスをした。
企業が借金をして不動産を手に入れたのも、
個人がローンでマンションを買ったのも、
こうしたインフレを逆手にとった利殖術である。
この手法で成長経済時代に財を築いた人は
たくさんいたに違いない。
ところが、そうしたインフレの時代でも、
経済の仕組みに明るくないために、
もしくは財テクに関心がなかったり、
臆病であったりしたために、
お金を銀行に預けっぱなしにした人は多かった。
日本のようなサラリーマンの多い国では、
お金を貯め込む人とお金を運用する人は別人種であり、
したがってお金を預ける人とお金を借りる人も
また人種が違っているからである。
当然のことながらインフレにうまく乗れる人と
うまく乗れない人もまた別の種類の人たちである。
そういううまく乗れない人たちは、
お金を貯める片っ端から、
雪だるまが陽に当たって溶けるように、
お金の目減りに遭遇する。
しかし、そんなことでめげるような人たちではない。
賃金が上がって富の分配にあずかるチャンスがあって、
社会全体としてのパイがどんどんふくれ上がっている間、
貯金は年々ふくれ上がってきたのである。
それが増えに増えて、各家庭の貯蓄額が
年収の一年半分を超えた頃から、
日本でも財テクに関心を持つ個人が増えてきた。
たまたま、その時期が空前の金あまりと重なりあったので、
たちまちバブルが発生し、
高利回りの債券を求めて銀行の前に行列ができたり、
証券会社の主催する講演会に人が溢れるようになった。
また中堅サラリーマンで、
一億円もするマンションを気前よくローンで買う人も現われた。
あとになってふりかえってみると、
そこが三十年続いた成長経済の天井であり、
それを境に振子が逆の方向へ動き始めたのである。
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