第38回
時代に適応できなければ消え去るのみ
バブルの崩壊は、小市民の夢を木端微塵に打ち砕いただけでなく、
大きな傷跡を残した。
もう一度、初めからやり直せばよいと思っても、
借金ごと銀行に押しつけることのできる人と、
借金を抱えたまま途方に暮れる人とでは副作用の深刻さが違う。
商売人なら銀行に下駄を預けてしまえばそれでおしまいだが、
エリート・サラリーマンではそうはいかない。
なまじ社会的地位があったり、
面子にこだわる立場の人は
カッコのつかないことはできないのである。
せめてもの慰みは、デフレの深刻化で金利が低下し、
ローンの支払いがわずかながらも安くなったことであろう。
しかし、金利が安くなった程度のことで
マンションや地価の値下がり分は到底カバーできない。
将来、再び不動産の値上がりが起こることが
全くないとは言えないけれども、
人生はそんなに長くはないし、
それまでもつかどうかのほうが問題である。
では、そういう立場におかれた人はどうすればいいのであろうか。
ピンチから逃れるための解決の方法はーつだけではないし、
人によってやり方も違うのは当然だけれども、
ほとんどの人の苦しみは、
損に対してあきらめがつかないことから起こっている。
損に耐えるのは容易なことではないが、
損を覚悟し、自分の片腕を切り落すくらいの
つもりになるよりほかないのである。
私がデフレのスタートする時点で、
自分の「財産が半分に減る覚悟」をし、
人にも「覚悟はよいか」と問いかけたのは、
こういう逆風のときは多くの人が損をかぶるのが普通であり、
自分だけ例外であるのは虫がよすぎると腹を決めたからである。
たとえば、地価が半分とか三分のーまでへっこみ、
ダウ平均が高値の半分以下に下がれば、
社会的な富が半分以下に減ったのだから、
借金がない人でも財産は半分に減るし、
借金と財産の双方を持っている人は、
それ以上に財産が減るのが当たり前なのである。
大は大なりに、小は小なりに財産の減る覚悟をしなければ、
このピンチを乗り越えることはできない。
これは自分自身に言いきかせる言葉だが、
支えきれないほど大きな損をしたり、
借金を抱え込んだとしても、
もつとひどい目にあった人に比べればまだいくらかましだし、
交通事故に遭って体のおかしくなった人に比べれば、
健康で再起が可能な分だけ
まだありがたいと思わなければならないのである。
いまのような時代に、
インフレからデフレへのスイッチをうまく切り換えられない人は、
商売が成り立たなくなったり財産を失ったりして
第一線から脱落してしまう。
時代に適応できなくなれば
「老兵は消え去るのみ」を地でいくよりほかないが、
そういう人でも生きている限り生活をしていかなければならない。
たいていの人は老後のために
いくらか財産や現金を残しているのが普通だが、
年をとつて破産をしたりするとそれもなくなってしまう。
そういう人は年金で暮らすか、
子供の世話にでもなるよりほかないが、
そこまでひどいことにならない人でも、
老後の備えはデフレによる金利の低下で
一大打撃を受けてしまった。
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