目標は「中金」持ち!

第127回
親の苦労は包み隠さずに見せよ

子供のために苦労はいとわないが、
自分たちの苦労を子供に見せたがらない親もある。
そういう親のもとで育ち、
親の苦労を知らない子供たちは、
どうしても「親の心、子知らず」ということになる。

親の苦労は包み隠さずに
子供たちに見せた方がいいと私は思っている。
そういう家庭の方が家族に連帯感が生まれ、
家族間の協力が得られる可能性が強い。
としたら、もしかしたら
家族間の連帯関係は家にお金があるかどうか
ということとは無関係で、
親たる者がそうした雰囲気を
家庭内につくろうと心がけたかどうかにかかわっている、
ということができる。

たとえば、私の家には子供が三人いる。
みなそれぞれに独立して、
「スープの冷めない」距離に自分らの居を構えている。
皆が皆、自分らの思い通りに生活ができているわけではないが、
よその家と少し違うところがあるとすれば、
少なくとも一週間に一度は子供たちが家に帰ってきて
親と食事をすることだろう。

その際に、親の仕事の実情をきいたり、
また自分らの仕事の中身を披歴する。
トラブルがあれば、どうやって対応するか皆で考える。
また親子どちらの誕生日でも、必ず家族が集まってお祝いをする。
母の日でも、父の日でも、一応集まって親にプレゼントをする。

別に珍しいことではないけれども、
親子兄弟の交流がある分だけ家族間の結束は固い。
こうした習慣ができあがったのは、
私たちの家族の置かれた特殊な環境とかかわりがあるように思う。

私は台湾人を父、
日本人を母として生まれたが、家内は広州で生まれ、
香港で育った生粋の広東人である。
娘は香港で生まれ、あとの長男、
二男はともに東京生まれだが、三人とも東京育ちだから、
出生地主義というアメリカ流の分類に従えば、
日本人そのものであろう。
苗字が違うために、毛色が違うと思われがちだが、
うちの子供たちに限って言えば、
外国人の子供ということで差別待遇されたことは一度もない。

三人の子供とものんびり育ったという点では人後におちないが、
にもかかわらず、オトナになって行く過程で、
自分らのアイデンティティを次第に意識するようになった。
そこは「血は水よりも濃し」で、
中国人に通有の家族意識が
次第に頭をもたげてきたのかも知れない。

もし私たちに家族としての連帯感があるとすれば、
それは私たちの肌の下を流れる中国人的な
自己防衛本能のせいかも知れない。
そのおかげで私たち夫婦は、
子供のあるしあわせを実感しているのだと
いえるような気もしないではない。





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2014年9月17日(水)

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