第137回
人生のある時期を越えたらお金を減らす算段を
一人の人が貯蓄を始めると、
それが習い性となって生涯、貯蓄をし続ける。
お金儲けはむずかしいものだし、
貯蓄はよほど強堅な意志がないと
途中で何度でも挫折するものだから、
年をとればとるほどその習慣に固執する。
とりわけ第一線を退くと収入は増えるよりも
減る傾向が目立ってくるから、
年寄りはますますケチになり、
お金を使わなくなる。
インフレ期はインフレ期で、
昔の貨幣価値が頭にこびりついて
物価の値上がりについていけなくなって、
お金が増えても昔の単位でしかお金を使おうとしないし、
いまのようにデフレになってお金儲けがむずかしくなったり、
金利が低下してタダみたいになってしまうと、
お金の大切さが身にしみて、よけいに財布の紐を締めてしまう。
この傾向は、古今を問わず、
また洋の東西を問わず、年寄りについてまわるものであるから、
貯金通帳に何千万円、何億円という数字が記入されたままで、
雨戸のしまった暗い部屋の中で死んでいる
というニュースには事欠かない。
老人の死が報道されると、
いままで寄りつかなかった親戚どもが
どっと集まって来て遺産の相続争いが展開される。
しかし、その前に先ず税務署が立ちはだかる。
第三者から見たら、何のために食う物も食わず、
楽しめることも楽しまずにみすみすお金を税務署に渡したり、
何の手助けもしてくれなかった
親戚たちに遭すようなことをするのか、ということになる。
これは息子や娘のいない
孤独な老人にだけあてはまることではない。
たとえ息子や娘がいても、福祉国家に生きているとなると、
子供たちは起居を共にしていないし、
場合によっては寝たきり老人だけ老人ホームや
療養施設に送り込まれている。
そうなってまでも、老人たちが
自分のつくった財産をしっかり握りしめたまま、
税務署と子供たちに遺す必要がはたしてあるのだろうか。
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