目標は「中金」持ち!

第143回
年をとったら失業に追い込まれるのは自営業者も同じ

私は、定年後どんな仕事を選ぶかは、
年をとってからの生活費の心配をするよりも
ずっと大切なことだと思っている。

誰しも定年前よりもっとよい職に就きたいと
できないことを高望みするわけにはいかないから、
結局は自分にできる範囲内での選択肢しか残されていない。
たいていの場合、それは「昔とった杵柄」の
延長線上で細々と仕事をするとか、
さもなければ、自分の趣味噌好を生かした
新しい仕事をやってみるとか、
あるいは、宮仕えの身としては
やりたくてもやれなかった夢を人生の最後で実現してみせるとか、
いくつかのパターンが考えられる。

どちらにしても、人生の最後の部分は
陽が落ちる寸前にたとえられるくらいだから、
そう華々しいわけもなく、
世間にも顔向けできないような失敗をやらなければ
いい方だと思わなければならないだろう。

その点は定年退職を強いられない自由業者や
中小企業の社長でも大差はない。
定年のない人はいいなあと思うかもしれないが、
それは傍目によく見えるだけのことで、
人間は誰でも同じように年をとるものであり、
年をとると、気力が衰えなくとも
他人が気力の衰えたものとして扱うことにおいては、
何ら変わりがないのである。

現に、多くの家族企業の社長がある年齢に達すると、
社長の職を息子へ譲って会長になったり、
全く隠遁して第一線から退いてしまう。
絵描きさんを例外として、
頭脳と体力を必要とする自由業者は一定の年齢に達すると、
実質上の失業に追い込まれる。
自分はまだやれるつもりでも、
お座敷から声がかからなくなって、
自然に仕事がなくなってしまうのである。

物書きについてもそれは全く同じで、
私くらいの年齢になると、
周囲の同業者は次々と他界してしまうし、
現存する友人たちで元老扱いされて、
文学賞の審査員すらつとまらなくなってしまう。

現役はもはや数えるほどしか残っていないし、
残っている友人たちでも、総合雑誌の巻頭文を書くとか、
たまにインタビューの対象にされているくらいのものである。





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2014年10月24日(金)

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