伏見緑さんが語る「あなたの知らないドイツ」

第54回
「大人」と「子ども」の距離

横断歩道で車が来なければ、信号が赤でも
ぱっと自己判断・自己責任で渡ってしまう歩行者は、
この国にもいます。
でも、必ずしもいつも「皆で渡れば怖くない…」
とはなりません。

もしも、その横断歩道で小さな「子ども」が
たった1人でも、
隣か横断歩道の向こう側で信号待ちをしていれば、
いくら先を急いでいても、
たとえ見知らぬ「子ども」であっても
「子どもがいるなぁ」という顔をしながら青信号になるまで、
渡りたいのをぐっと我慢している「大人」たちをみかけます。

こらえきれずに渡ろうものなら、からかうような口調で
信号待ちをしている子どもにしっかり聞こえるように、
「小さな子どもが見ているよぉ!」と周囲のこれまた、
その子の親でもない他所の「大人」から一声が飛びます。
少なくとも、一緒に待っている周囲の大人から
「あ、あの人、渡ったぁ!」
という無言の、厳しい視線が一斉に飛んできます。

ドイツに住んで、心底、驚くのは
社会全体の中で、
「大人」と「子ども」との立場の距離が、
常にきっちり綺麗さっぱり分かれていることです。

グレーゾーンとでも呼びたい、大人と子どもの境目が
「ビール許可年齢の16歳」を前後した
プラス・マイナス2歳というところでしょうか。
「もう、君は大人なんだろう!」と
大人へ、大人へとどんどん
「大人としての分別」を促される年齢、
何かと大人として扱われるゾーンがこの辺りにあります。

「大人」になると、もう「子ども」ではありませんから、
「自分が取る行動の責任」を云々されるだけではなく、
周囲の「子ども」への接し方も、
当然のことながら自ら配慮しなければなりません。


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2007年3月9日(金)

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