伏見緑さんが語る「あなたの知らないドイツ」

第76回
ベルリンとフランクフルトの関係

ドイツの首都、ベルリンとフランクフルトとは、
地図の上で見ると、山間を抜けて
ざっと約430キロほど離れています。
ドイツが東西に分かれていた時代には、
お互い別の国の都市同士。
まるで全く関係が無いように見えますが、
「中国」というキーワードにかけては、
意外にも、一致団結、昔からご縁の深い土地柄です。

このことをそっと私に教えてくれたのは、
種字林の中国古道具でした。
この古道具にそっくりの姿をした大先輩、
17世紀以降の清朝の前・中期の中国骨董家具や陶磁器は、
2度の大戦を逃れるよう大切にされながら、
これらの土地の家々が由来する屋敷や博物館の中で、
今も、静かに時の流れに身を任せています。

マイン川のほとりにあるフランクフルトから
本流であるライン川に入り、
そのまま、ずっと下っていきますと、
その河口には、海運国オランダがあります。
17世紀に入ってすぐ、オランダ東インド会社を設立し
さあ、アジアに出るぞ、と
鼻息を荒くした時代がありました。

その時、日本は長崎の出島だけを窓口として、
さっと鎖国政策をとりました。
中国は、明国から清国に変わる時代を挟みながら
結果として欧州との交易が続きました。

その時代、海運国のオランダ総督を務めるオラニエ家と、
フランクフルトがあるヘッセン州のヘッセン方伯家、
そしてベルリン、のちのプロイセン帝国、やがては
東西に分離する前のドイツ帝国の中心的役割を持つ、
ホーエンツオレルン家。
この3つの家は古くから縁戚関係で互いに結ばれています。

欧州の中でも優位な立場でオランダの海運力と直結し、
17世紀以来の東洋貿易で得た中国の品々に率先して興味を示して、
良品を所持しようとしたのはドイツのこの家々。
東洋商品の商いのかなり川上に居たという証に、
現在までコレクションされているのは、
大型中国家具の上、その質と量が大変素晴しいのです。
そして、あと少し、視野を広げて見てみると、
もう一つのこの時代の海運国、
イギリス王室との縁もこれらの家系の中にあります。
そして、歴史物語の中で終ることなく、
現代も欧州の経済活動に貢献しています。


←前回記事へ

2007年4月30日(月)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ