伏見緑さんが語る「あなたの知らないドイツ」

第78回
すこし昔のベルリン

ドイツの首都ベルリンを初めて訪ねたのは、
3年ほど前の晩秋のことです。
降り注ぐ陽光は本当にささやかでした。
皆、透けるような白い肌をしています。
これはまた、一段と北国に
やって来たものだな、と思いました。

繁華街に出ようと、路面電車に飛び乗りました。
停車場には券売機が見当たらなかったので、
車内に設置された券売機で買う仕組みだな、
と察したのは良かったのですが、
今度は、繁華街までの料金が分りません。
周りの人に聞いてみるか、と乗客を見回しました。

ところが、皆、そそくさと窓の外を見据えたきり、
誰も目線を合わせません。
人が券売機の前で困っている様子を見たら、
「あなたは何か助けが要りますか?」と
それまでの私が知っているドイツだったなら、
どこででも軽くそんな一声が飛んできそうなものです。
少なくとも後から乗り込む人が券を買うのを見れば、
だいだい予想がつくのですが、
あいにく乗る人は、誰も皆、券を買う様子がありません。

ホントに仕方が無いなぁ、という面持ちで、
すぐ傍の座席に、前を向いて座っていた、
60歳ほどのご婦人の背中から声を掛けました。
「あの、すみません、街の中心まで行きたいのです。
私はいくらの切符を買えば良いでしょう?」
全く聞こえない、という様子だったので、腕を伸ばして
トントンと肩を叩いて、もう一度、繰り返しました。

その方は、気の毒なほどビクッと私の方を振り返ると、
「あなたが呼んだのは私ですか?」と聞くのです。
今さら何を聞くんだろうとこちらの方が
だんだん不審に思いながら「はい」と答えたのですが、
先生に呼び出された生徒のようで、大変、気の毒でした。

そのご婦人は、決心したようにそろっと立ち上がり、
電車が揺れるのと同時に、よろよろしながら
ゆっくり券売機の前まで来ると、私の前でピンと直立し、
「大変申し訳ありません。
私はこのとおり、身体が弱く、目もよく見えません。
私には何も分りません。」
そう、蚊が鳴くような声でささやくと、
再びよろめきながら、
ほんの1メートル先の元の座席に戻りました。
私には返す言葉が見つかりませんでしたが、
「ドイツの歴史は、確かに2つに
大きく別れていたのだ」と知りました。


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2007年5月4日(金)

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