伏見緑さんが語る「あなたの知らないドイツ」

第84回
あなたならどうしますか…

ドイツに来る前の日本では、
ままごとのような小さな事業を手伝うばかりで、
併せてごく普通に日本企業にもお世話になる生活でした。
中国の発展ぶりはまだ今ほど明確ではなく、
一旦、息を吹き返したかのように見えていた
日経平均株価は2万円を
再び割り進もうとしていました。
そういうころ、
「もしも、これまでと同じようにしていたいなら、
日本の企業から完全に離れて
アメリカとアジア以外の場所に移らなければ
ならなくなるかもしれないけれど、
あなたならどうしますか…」という話を受け取りました。

その話をしてくれた方とは、私は、ついに
直にお目にかかれぬままとなりました。
アジア人ではなく、西洋人の方でした。
その時の私にとっては、日本人以外の外国人とは、
まるで見当も付かない異次元世界に住む人でした。

しかし、折りにふれ、その人柄が話題に上がるたびに
深い知性と温かい人間性に溢れた、
世界を真に自由に駆け巡ることができる
稀なビジネスマンの一人であることは
直接、会わずとも察せるほどでした。

その方が彗星のように来日するともなれば、
周囲の人もその人と共に良い仕事をしたいと
大勢が一気に士気をあげているのがよく分りました。
そういう雰囲気を見るだけで、私が全くの他人であっても
ははん、もうすぐ日本に来られるのだな、
と分るほどでした。
ですから、その方が向けてくれた話だが、という
口上を聞いたとたん、
一寸の迷いなくその話のままに、
日本を出るべきだろう、と応じました。

そういうことで結局、ドイツに来ることに繋がった
一番最初のお話は、
「もしも、私の犬が子犬を生んだら
お宅で、一匹、育ててくださいますか?」
といわれたの同じくらい、
小さく、さりげないものでした。
私は、動物を飼った経験がありませんけれど、とか、
家計のゆとりがありません、とか、
もう少し経って、本当に生まれそうになったら考えます、
などと答えていたら、全く何事もなかったかのように
すぐに立ち消えていたと思います。

そして、そのあと何年も、平素と同じ、
どこに行くかも全く何もわかりませんでした。
劇的に変わることは何も無かったのです。


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2007年5月18日(金)

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