伏見緑さんが語る「あなたの知らないドイツ」

第112回
「違い」がある人?

もしも、ドイツの「個人」をイメージする形を
1つ挙げなさい、と言われたら、
私は、迷わず「球体」と答えます。
ポンポンよく跳ねるボールのイメージです。

「個人」が1人で我慢しすぎず、
元気よく弾むだけの空気が入っているのが
上々のコンディション。
また、何かによって凹みすぎると
「それはダメだ」、「私は嫌です」と言い、
自らもとの形に膨らもうとします。
逆に、過剰に膨らみすぎて
隣近所を凹ませるほどになると、
それには「ちょっと!」と周囲からクレームが入ります。

凹みすぎたボールばかり、
膨らみすぎたボールばかりではなく、
それぞれが、何となくちょうど良いボールを目指しています。
ただ、どれも同一同型のボールではありません。
ピンポン玉?ビーチボール?サッカーボール?
自分にちょうど良い大きさや
好みの色柄のボールを目指しています。

元気なまん丸のボールは、
皆、どれも全く同じものがありません。
「違い」がないと「私」というボールの存在を
肯定しにくくなってしまうので、「全く同じ」なのは
気持ちが悪い、と好まれません。

多国籍の集まりの中の研修会で、
まず、周囲と自分がいかに違うかを発見せよ、という
課題を与えられて、こんなゲームをしました。
グループ内を名前・趣味・好きな色などの項目別に
時間内にインタビューをしてまわり、
「全ての項目が自分と同じ人を探せ」というゲーム。
「ほら、あなたと全く同じ人はいなかったでしょう?」
というのがゲームの結論。
他人と自分との違いを意識し、
それをプラスにアピールすることが
自己主張の第一歩、さあ、あなたの違いをアピールしなさい、
という内容で、冷や汗をかきっぱなしでした。

昨日まで、「皆と同じ」であることに安心していたのに、
有無を言わさず、180度の方向転換。
こちらでは「違い」がないと
相手に安心してもらえないなんて…。
でも、皆、どんな違いがあっても、誰だって、
まずは、元気な丸いボールでありたいだろう、
という前提が暗黙にあるのが分ってきました。


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2007年7月23日(月)

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