伏見緑さんが語る「あなたの知らないドイツ」

第158回
もしかして、以心伝心?

ドイツの八百屋の中には、
野菜棚と客の間に、ロープを1本引いておいて、
客には、野菜に指一本触れさせないという
スタイルのお店があります。
これは、野菜の品質管理とお客には、
大変、気を使った販売方法なようです。

スーパーマーケットの野菜売り場のように
野菜を1つずつプラスチックの
フィルムやケースに入れて小分けしない代わりに、
店員さんがお客1人ずつと会話しながら、
必要な分だけ鮮度の良い野菜を箱から取り出し、
紙にくるんで丁寧に手渡ししてくれます。

ある八百屋で、遠くの野菜をもっと良く見ようと
がんばっているうちに、私は、
ロープ1本の線を無意識に越えてしまいました。
すかさず、店員さんが注意に来ます。
「失礼ですが、ここにはどなたも入れません」。

この注意の言葉を聴いたとき、
「おや、もしかして、ドイツ語って以心伝心!?」
と驚きました。
「入ってはいけません(命令形)!」でもなければ、
「あなたは、このロープより外に出なければなりません
(主語付きの禁止表現)」でもなかったのです。

「どなた」のうちに、私も入るのね?と、
こちら都合の解釈の余地が委ねられています。
どなたも、ということは、
注意されているのは、私だけではないのね
(明らかに私1人がロープ内に踏み込みましたが)、と
こちら勝手の解釈の余地が委ねられています。

アルファベット言語は、
必ず主語と述語を付けなければならないために、
直接的な表現が多く、
どちらかというと遠慮のない言い方になるものだ、
と長い間、私はそう思い込んでおりました。
でも、言葉選びによって
大変、強い言い方になってしまうのは
最初から分かりきった話なので、
「人間の理性」にその言葉選びや使い方の
コントロールを委ねている要素が
大きいのかもしれないな、と気付いたのです。

世界中の言語の中で、日本語だけが
以心伝心タイプではない気がしているのです。
…とこのような話を日本の友人に伝えたら、
今どきの日本では、家族や親しい人との間ほど
言葉をメールに託す
「以心電信」だよ、と教えられました。


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2007年11月7日(水)

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