伏見緑さんが語る「あなたの知らないドイツ」

第172回
なぜ、そんなに人間主義でいられるの?

欧州では、突発に起こる自然の大災害より、
不意に引き起こされる人間による災害に
多く悩まされているよう見えます。
人間による大災害ならば、
欧州だけでなく、地球上の他の場所でも
頻繁に起きているに違いないのですけれど。
なぜか欧州では、
人と人との間のトラブルが自然と人とのそれより、
ずっと大きく見えます。

「人間に辛い思いをさせる原因のほとんどが人間である」
と見えてしまうにも関わらず、
その反対側に「人間が人間らしくあるのが素晴らしい!」
という「人間主義」が欧州にはあります。
「人間が人間を苦しめているように見えるのに、
なぜ、そんなに呑気に人間主義でいられるの?」
と、私には長い間、不思議でなりませんでした。

それよりも、もっと不思議なことがありました。
意味がよく分からなくても良いから、
とにかく、私自身も自ら「人間主義」が
周りに平然と言えるようにならないと、
到底、欧州の中で生きていけそうになかったのです。

ワケが分からないまま自己流の「人間主義」を
ぶんぶん振り回し続けた挙句、最近になって、
それが欧州でとても大事である理由に気がつきました。
もしかしたら、これらは
「盾(人間主義)と矛(人間)の関係」
にあるのかもしれないな、と。

「人間(矛)」に突付かれるのが苦しみの原因なので、
「いや、そんなに辛い思いをしたくはない。
もっと、本来の人間らしくありたい!」と
反発して「人間主義(盾)」を唱え、
また、行き過ぎた我慢ならない「人間主義(盾)」には、
「人間(矛)」の正義で立ち向かおうという
構図になるのかもしれません。

「人間主義」というのは、やさしく表せば
「人間1人1人が無理をしない」ということです。
では、どうすると「無理をしない」のでしょう?
それは、お腹が空いた、疲れた、眠りたいなど
「個人の要求」を率直にしっかり表すことのようです。

やりたい放題の野放図ばかり…になりそうで、
実はそうでもなさそうです。不思議ですね。
「私は水を飲むわ」、「私は要らない」。
あっそう…とその間に入り込む余計な感情はゼロ。
サッパリしたものです。
お隣同士の「人間主義」がぶつかりすぎないよう
適度にトラブル回避し、他人との距離をとるのも
「人間主義」の役割です。


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2007年12月10日(月)

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