伏見緑さんが語る「あなたの知らないドイツ」

第217回
「フェアな土俵」は欧州社会の必需品

多くの欧州人は、「それは公平(フェア)ではない」と
言われることに、とても敏感です。
「卑怯じゃないか」と言われるのと同じ意味があります。
ここでは「平等ではない」ことへの関心は薄くとも
「フェアではない」のは大問題です。

勝負によって、勝ち・負けができる競争社会。
ただし、その勝負を始める前には、
少なくとも世間一般、「目に見える範囲」では、
「フェアな土俵」を必ず用意するのが前提です。

「フェアな土俵の上での勝負でこそ、
実力がある真の勇者・真の賢者が勝ち残る」という
聞けば誰でも分かった気分になれる、
シンプルな「話のスジ」というものがあります。
この「話のスジ」を通し続けることで、
格差大有り、不揃いリンゴ社会の
欧州全体が上手くまとまっているように見えるのです。
「フェアな土俵」は欧州社会の必需品です。

ともかく、こちらから始めた「話し合い」で、
一生懸命、話を聴いては対応した挙句、
ついには「フェアではない」と指摘され始めた
相手も大変、気の毒でした。
話を聞き、ぐっと堪えながら
「どうにかしてあげたくても、どうしようもない」
というのが、きっと本音だったろうと思います。

その頃、私はまだ、欧州人のことを知ろう、
相手を理解しようと努めていました。
一縷の望みを託していたのは、
古代ローマ史の物語には必ず出てくる
「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」のポリシーです。

異なる文化、異なる言語、異なる宗教、
異なる価値観を持つ者でさえ、
フェアに受け入れ、「フェアな土俵」の上で勝負させて、
互いの利益を分配し、享受することこそ、
パクス・ロマーナの本筋でしょう?と
問いかけたい気持ちを持ち続けていました。

あらゆる局面でパクス・ロマーナを推進しつづけた
初代ローマ皇帝アウグストゥスや
武将アグリッパの物語が頭の中をよぎります。

こちらはシンプルな「話のスジ」を通したいだけです。
聞く耳を持つ人には理解できるはず、でした。
欧州人を信じよう、せめて信じていたい。
そう考えることだけが、残された最後の手段でした。


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2008年3月24日(月)

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