伏見緑さんが語る「あなたの知らないドイツ」

第216回
勝負にならないヒヨコでした

「話し合い」を「ケンカ」に変えるわけにはいかないので、
コブシを握り締めたまま、
じっと我慢しているうちに(第207回)気が付きました。

生活費を2年ほども、自腹で負担していたとはいえ、
その分の大金をポンと貰いたいと願うでもなければ、
欧州で贅沢な暮らしをしたいとも考えていませんでした。
お金の余裕は、全く無かったけれど、
金額なんて、こちらにとっては、どうでもよい話でした。

しかし、許容できないのは、その「アン・フェアさ」です。
それに気が付いたとき、やっと頭のスイッチが入りました。
「怒り」と「言葉」と「事実」の3つが
初めて、頭の中でスパッと横1列に並んだ瞬間でした。

多くの日本人はこういう、
「怒り」の感情を日頃から強く持ちあわせていません。
むしろ、周囲を不快にさせる原因になりやすいので、
「怒り」の感情を持たないよう努める習慣があります。

そして、爆発させてスッキリするのが「怒り」ではなく、
「怒り」の感情を「話し合い」の推進力として
有効に使うものだ、という発想がありません。
「怒り」に沿って「事実」を
落ち着いて整理する作業にも不慣れです。
更に、言語も文化も違う人間に向かって、
自らの「言葉」を使って粘り強く「話し合い」を進め、
自分の利益を勝ち取ろうとする習慣もありません。

日本の外に出たとたん、土俵に上がる前から、
まるで勝負にもならないヒヨコの姿というのが
真っ正直な現実と言うもの。
これを生まれて初めて認識しました。
「ああ、ヒヨコのままでは、この欧州で
いくらお金があっても生きていけるはずがない」
と素直に認めざるをえませんでした。

「ドイツで生き抜くために一発勝負しろ、というなら、
勝負できるだけの土俵を最初に整えるのが、
フェアというものでしょう?」
「アン・フェアな土俵を使って勝負をしようというのは、
そもそも、おかしな話じゃないですか?」
「もしも、あなたが日本に住むご縁があったとき、
この状況で生きろといわれたら、どうするのでしょう?」

「皆が納得する理由があってドイツに移ったのだから、
暮らすための最初の条件が整っていないのは
フェアではない」と言いたかったのだ、と悟ってからは、
ヒヨコなりに「押し」の一手でした。


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2008年3月21日(金)

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