伏見緑さんが語る「あなたの知らないドイツ」

第223回
「お受験」は無いけれど

3歳になる頃、ドイツの子どもも、
「なぜ?」、「どうして?」と
大人に向かって盛んに質問を浴びせるようになります。
しかも、「自分の意思をハッキリ言葉で表す」のは、
ここでは何より大事。
子どもが大人になるまでの「なぜなに?」課程は大事です。

散歩道や、電車の中で、質問攻撃が遠慮なく聞こえてきます。
「ママぁ、なぁ〜ぜぇ?」「どぉ〜して、パパぁ?」
その質問は、「電車はどのようにして動くのか?」と
いう子どもらしい素朴な内容から、
エイズ撲滅のポスターを見ては「エイズとは何ぞや?」と、
大人が答えるのにムツカシイ内容まで、実にさまざま。
しかも、これに答える大人が、
少しも誤魔化さずに「真剣」に応対するので驚きです。
これにはほとほと感心、恐れ入るほど。

加えて、この「なぜなに?」の質疑応答は、
親子の間だけのものではありません。
通りすがりのアカの他人同士の「大人と子ども」の間でも、
マジメに応対するものだ、という雰囲気が強くあります。
これが子どもに対する大人の常識でしょ、
と言わんばかりの「子ども」対「大人」の
真剣な「1対1対応」の会話が繰り広げられます。

日本でなら、親子の間でさえ、
本当はいけないけれど、と内心気にしつつ、
「今、忙しいからあとでね」、
「大きな声でそんなこと聞かないで!」などと
大人主導の対応で、ぱっと終わらせてしまうか、
聞かなかったことにしてしまいそうです。

ましてや、子どもが見知らぬ大人に声を掛けるのは、
今どきの日本では、かなり難しいことでしょう。
ここでは、散歩途中で働く人をみつけては、
子ども自ら、質問を浴びせる光景を目にします。

「おじさん、何やっているのぉ〜?」
「ボクは、仕事をしているんだよ。」
「何の仕事をしているのぉ〜?」
「ボクは、穴を掘っているんだ。」
「どうして、穴を掘っているのぉ〜?」
「穴を掘って、土管を埋めるんだよ。」…(続く)。

この間、その子と一緒の両親なり、祖父母なりは
ほどほどの時間を見計らって、その子に
「そろそろ行きましょう」と促すまで黙ったままです。
幼児のお受験も、お受験のための塾も無い国だけれど、
毎日のこんな風景ならば、たくさんあります。


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2008年4月7日(月)

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