死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第63回
二十代で儲けたお金は、ほとんど残らなかった

二十代の前半から倹約を心がけていれば、
それだけたくさんお金も貯まりそうなんですが、
残念ながら、二十代で貯めたお金は残らないことが多いんです。

私自身を振り返っても、
二十代で金儲けの大きなチャンスに恵まれ、
大の男が一生かかってもつくれないような
お金に恵まれたことがあります。

人から「二十代で貯めたお金は残らない」
と聞かされていた私は、”例外”になろうと考えました。

収入があるとつい気が大きくな って、
浪費をしてしまう。
だから、お金が儲かっているときに倹約すれば、
お金が残らない道理がない、そう考えて、
事実、自分の収入の十分のーで暮らしたのです。

十分のーといっても、
かなりの収入を得ていたからできたことですが、
それでも二十代の若者としては殊勝な考え方だったと思います。
「これなら、かならず財産家になれる」と思ったのですが、
結局、例外にはなれなかった。
二十代というのは、何もかもがはじめての体験なわけです。

ちょうど、子どもを産んで育てるのと同じですね。
すべて暗中模索なんです。
そんな時期に、金儲けのチャンスに恵まれると、
つい、それがいつまでもつづくという錯覚に陥ってしまう。

四十代、五十代ではじめてつかんだチャンスなら、
こんなチャンスはめったにないと考えるんですが。

この調子なら、あと十年もすれば
大財産家になれるとあれこれ手を広げていった。
ひとつの成功に慢心したツケが回ったんでしょう。

二年もしないうちに、
それまで倹約して貯めたお金も大半はなくなってしまった。
それでも、三階建ての家が一軒、香港に残ったんですから、
上出来だと言っていいのかもしれません。

ただ、ここで私が言いたいのは、
そのとき積んだ経験は、
その後の私の人生に大いに役立っているということなんです。
二十代に積んだ経験は、お金の形としては残らなくとも、
頭の中にーつの教訓として残るんです。

たとえば、ここに一億円というお金があるとすれば、
そのお金自体にはさほど意味はありません。
一億円というお金をつくった人の才覚に大きな意味があるのです。
その才覚さえあれば、一億円というお金はまたつくれます。
そういうことを、体験的に知るのが二十代なんです。

高い授業料といえば、これほど高いものはないのですが、
だからといって、お金はまたいくらでもつくれるのですから、
そんなにお金にばかり固執することはないと思います。

私は、よく「二十代は自分に投資する時代、
三十代はそれを活用する時代だ」と言っています。
実行したからといって、
それがすぐお金に結びつくわけではありませんが、
二十代の経験はかならず生きてくるはずです。





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2013年6月4日(火)

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