死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第90回
ご祝儀は自分の飲み食い代と考える

年とともに結婚式は盛大になっています。
お祝いの額は、常識としては、
式に参列したときの食い扶持くらいは
自分で払うものだと考えていいでしょう。

東京の超一流のホテルで結婚式を挙げると、
一人五万円が相場ですから、
だいたいその見当ということです。

ところが、世の中には、
そういう常識すら持っていない人がけっこういるんです。
かなりのお金持ちの人が、
一流ホテルの結婚式に出るのに、
二万円くらい出して、澄ましている。

あるいは何百人も出席者がいるんだから、
その中にまぎれこんでしまえばわからないだろう、
くらいに考えているのかもしれません。

結婚式には、どうしたってお金がかかります。
たいてい親がかりですから、
親としては、すこしでも援軍があればいいと思っているんです。

つき合いの関係から考えて、
あの人ならいくらと、
ある程度、皮算用してもおかしくないんですね。

だから、誰がいくら持ってきたか、
不思議によくおぼえているものなんです。
私なんかでも、息子の結婚式のときに誰がいくら持ってきたか、
いまでも全部おぼえています。

中には、たったこれっばかしか、
非常識なやつだと呆れた人もいます。
歳が若いうちは、そういうことは許されるんです。

花婿や花嫁の仲間でしたら、
まだ収入が少ないし、みんなそれを知っていますから、
二万円でもいいんです。

受付をするとか、客を案内するとか、
お手伝いをすることが免罪符になるんです。

つまり、お金を使わない代わりに、
頭や体を使いなさいということなんです。

それにひきかえ、
社会的に地位があるにもかかわらず、
二万円というのでは、やっぱり恥をかきます。
常識を疑われます。
もっと常識がないのは、
「出席」の返事を出しておきながら来ない人です。

当日、キャンセルをしても間に合わない。
呼んだほうは、その人の分を払わされたうえに、
知らんぷりされるわけですから、
こんなに腹立たしいことはありません。





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2013年7月3日(水)

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