石原新さんが歩む21世紀型日本人ビジネスマンへの道

第36回
海外勤務向きのDNAってあるのでしょうか?

私の職務経歴を見ていただくと、
大学卒業後就職した大手の会社を辞めて大学に舞い戻ってみたり、
再就職した会社では事業、子会社の運営がうまくいかず
台湾に渡るハメに陥ったりと、
エラい回り道の人生を送っているように見えますが、
私のご先祖様方もそれなりの道筋を辿っていたようです。

私の曽祖父は九州は大分の出身で、
日本が台湾を統治していた時代、
総督府の税務関係の役人として彼の地に渡っておりました。
新竹や高雄などの任地をまわった後、
定年後は永住するつもりで台北市内に家を持ったようですが、
敗戦とともに財産も何もかも失い、日本に引き揚げて来ました。

祖父は一足先に引き揚げた先の名古屋で
土木技師として市役所に職を得ましたが、
上司と大ゲンカして辞めてしまい、
道路建設の会社に再就職しました。
道路工事のプロジェクトで
中国の満州に単身赴任したことがあるそうですが、
日本に家族を残しておきながら
何年にもわたってお金を全く送ってこなかったため、
祖母や父の兄弟たちは行商の手伝いなど大変な思いをして
その間の生活を凌いだとのことです。

そんな祖父を反面教師としたのか、
私の父は堅実にも?国家公務員の道を選び、
私を育てあげた後めでたく退官したのですが、
性格的にはガンコな取っ付きにくいオヤジでした。
退官後、何を思ったかタイで生活すると言い出し、
母を日本に残したまま、現在チェンマイ郊外の寺に入って、
タイの若者たちと寝起きを共にしながら坊主の修業をしています。

失われた青春を取り戻そうとしている?父親を除けば、
私を含めて4代のうち3代までが
海外での仕事の経験をもったことになります。
これを運命のなせる業というのか、単なる偶然というのか、
今の私には何とも言いようがありません...。


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2005年3月24日(木)

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