石原新さんが歩む21世紀型日本人ビジネスマンへの道

第55回
電車からの風景

日本への出張がたまたま4月初めになったので、
私は運良く桜の見頃に立ち会うことができました。
桜は、日本人にとって特別な花と言えますが、
台湾にいると街中では見ることができません。

古代の日本人は梅を愛でる大陸の文化に習っていたようです
(現在台湾の国の花は「梅」です)が、
平安時代になると
野生の桜を都市部に移植して鑑賞するようになったそうです。
最初は貴族の風習だった花見ですが、
時代を経るにつれて、武士や大衆、都会から地方へと
その習慣が広がっていったようです。
桃山時代には、豊臣秀吉が吉野と醍醐(京都)で盛大な花見を催し、
花見の楽しみが一般に知られるようになり、
大衆にも一層身近なものになったそうです。
江戸時代に入ると、3代将軍徳川家光が上野に寛永時を建てて
吉野の桜を移植、隅田川河畔にも桜を植えました。
また、8代将軍吉宗が飛鳥山を桜の名所にし、
花見はますます庶民の間に広がりました。

江戸時代の前半には、
桜が一気に散る様が縁起が悪いと武士に嫌われたようですが、
泰平の世となり歌舞伎の忠臣蔵で
「花は桜木、人は武士」という台詞が使われたことで、
武士の桜嫌いは消えていったとも言われているようです。
更に、江戸時代末期に登場したソメイヨシノが、
あっという間に全国に広まり、
現在までつながる花見の習慣を確定的なものにしたのでした。

私たちが持っている習慣や考え方は、
古より長い年月を経て培われたものもあれば、
比較的近い過去に定着したものもあるようですね。
「島国根性」という言葉がありますが、
これは日本の地政学的なものから来ているのか、
それとも江戸時代の鎖国のような外交政策による影響なのか。

最近の状況を見れば、
地政学的な隔離要素はかなりの部分
技術で克服されているのですから、
最後はやはり各自が国際社会で生きていくため、
過去からの思考スタイルを解き放ち、
どのくらいオープンになれるか否か、がカギではないか?
電車の中から桜を見ながら、そう思いました。


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2005年4月22日(金)

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