石原新さんが歩む21世紀型日本人ビジネスマンへの道

第109回
大きな城の参謀ですか?小さな城の主ですか?

大学を卒業して最初に就職した鉄鋼会社の
上司・先輩であった青柳さんと大地さんに
何年かぶりで再会しました。
当時三十代半ばで血気盛んな若手マネージャだったお二方が、
気が付けば五十路に手が届こうとしていました。
自分もいつの間にか当時の彼らの年齢を通り過ぎてしまいました。

1985年のプラザ合意による急激な円高で
未曾有の鉄鋼不況に見舞われた各社は、
経営合理化による雇用の受け皿を作るため、
遊休化していた土地や、
円高対策の金融緩和によるバブル景気によって大幅に増加した
所有株式の含み益を原資に、次々に経営多角化に乗り出しました。
私が配属されたのは、それら新規事業を企画・管理する部署でした。
私は、この会社でまず何年か仕事の基礎を一から教わった後、
実際に新規事業を手がける子会社に出向しましたが、
その会社の単年度黒字化を見届けた後、
大学院に復学するため退職しました。
その後親会社が本業回帰に舵を切ったため、
ほとんどの新規事業は他社への売却等で姿を消しました。
お二方とも今はそれぞれ鉄鋼事業に戻ってお仕事されています。

面白いのは、当時から15年も経っているのに
今でも直接話すのに緊張してしまうことです。
お二方とも私とは一回りも年齢が離れている上に、
日本を代表する大学を卒業され、
会社から海外ビジネス/技術留学派遣されたほどの方々ですから
大変なエリートであることは間違いありません。
このような方々が部長レベルに幅広くいらっしゃることでは、
まだまだ日本の大企業には層の厚さを感じます。

大企業には大企業でしかできない「でっかい仕事」があり、
小企業には小企業でしかできない「とがった仕事」があります。
ただし、進む道は違っても、
今につながる仕事の基礎を叩き込んでくれたのは
お二方をはじめとする先輩方であり、
起業を目指す若い方も、まず仕事のスタイルとして
目標となりそうな先輩のいる会社で
修行を積んでから行動に移すのは、
意味のある回り道だと思いますが、いかがでしょうか?


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2005年7月7日(木)

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