服飾評論家・出石尚三さんが
男の美学をダンディーに語ります

第478回
ジョン・B・ステットソン物語

ボーイ・スカウトの帽子を知っていますか。
ヤマの前後に、4つの大きな凹みのある、
特徴的なハット。
あの帽子はバーデン・パウエルが
ステットソンに注文したのがはじまりなのです。
つまりボーイ・スカウトの帽子と
カウボーイ・ハットとは、
親戚の関係とも言えるでしょう。

ジョン・バターソン・ステットソン
(1830〜1906年)が作った帽子なので、
ステットソンと呼ばれたことは、ご存じの通り。
アメリカ、西部開拓時代には
“ステットソン”を知らない男はいなかったでしょう。
実際にステットソン製であろうとなかろうと、
カウボーイ・ハットであれば
“ステットソン”と呼ばれたほどです。

でも、ステットソン自身が自分の帽子に与えた名前は
「ボス・オプ・プレイン」(平原の王者)でした。
ために最初は頭文字をとって
「B・O・P」と呼ばれたのです。
「平原の王者」、ステットソンは
ネイミング術にもたけていたわけです。

ジョン・B・ステットソンの父は、
スティーブンといって、
ニュウ・ジャージ州の帽子商でした。
ジョンは長男でしたが、
若い頃から病弱で、
父は弟のヘンリーに
商売をまかせるつもりにしていた。
ジョンの病いは結核。
1850年、ジョンが20歳の時、
いよいよ病状は重くなる。
この時、どうせなら西部を見てから死のう、と思う。
で、徒歩と野宿の旅に出る。
ところがこのあまりに苛酷な旅をつづけているうちに、
なんと結核がなおってしまうのです。

ジョンは旅をつづけながら帽子を作った。
動物の毛を集めてフェルトを作り、
そのフェルトで帽子を作った。
厳しい旅に上質の帽子は必要不可欠であったからです。
このジョンの作る帽子が、
やがて西部の男たちの間で評判になる。
それはそうでしょう。
自分の実際の経験から、
必要だと思う帽子を作ったから。
それは本物のファー・フェルト製の
軽い帽子だったのです。
もしカウボーイ・ハットを被ることがあったなら、
このジョンの話を思い出そうではありませんか。


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