中国って、本当のところどうなの?

第162回
敵の敵は見方?

昨日からの続きです。

=北京市の北西に位置する圓明園=
1860年10月、当時ここに存在した建築群は、
イギリス・フランス合同軍の攻撃で
殆ど破壊されてしまいました。

圓明園は清朝の庭園であった場所ですから、
中国側のショックは相当に大きかったことでしょう。

圓明園内には、
イギリス・フランス合同軍によって破壊されたとされる
清朝時代の建築群が遺跡として残ります。

この広大な庭園が
「イギリス、フランスの侵略」の
一つの見本市となっているとも言えます。

圓明園に残された遺跡を見ていくと、
「イギリス、フランスは本当に酷いことしやがるなァ」
という印象を外国人でも抱くことでしょう。

1840--1842年の阿片戦争は、
清朝が阿片に蝕まれる自国の状況を改善すべく、
イギリスからの阿片の密輸入を禁止しようとした際に、
「なんで阿片の輸入を禁止するんだごらァ!」と
無茶苦茶な理由でイギリスがしかけた侵略戦争でした。

麻薬の売人が「麻薬止めるなぼけェ!」と
麻薬中毒者や家族に暴行を加えたようなものですね。

長い鎖国のため、近代化が遅れていた清は、
イギリス軍の最新鋭の兵器に敵うわけもなく、
アモイ・上海など5港の開港、
香港割譲を余儀なくされたのでした。

その後も幾度と無く列強諸国に半植民地化された中国は、
第二次大戦後、1949年に共産党により
中華人民共和国として建国され
一応落ち着いたかにみえました。

しかし、蓋を開けてみると
列強諸国に蹂躙されていた頃よりも
遥かに酷い自国政府の圧政・弾圧により
数千万人もの中国人民が死に追いやられたといいます。
さらに、近隣諸国や幾つかの自国内の自治区への迫害も
世界的に広く知られています。

中国には抗日記念館をはじめ、
こうした「外敵の暴挙」を展示する公共の場所が幾つもあり、
「敵国への怨嗟は忘れまじ」という風潮があります。

しかし、内政の根本的な問題に関しては触れず、
議論が片手落ちであることは否めません。

「外敵と戦う自国政府は人民の見方」
「悪いのはいつも外国の蛮民」
かなり無理のある論理展開ですが、
今後の中国の流れを見ていく上でも
よく考えておかねばならない中国の一面でしょう。


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2006年3月6日(月)

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