中国って、本当のところどうなの?

第278回
ハルビン駅の歴史ミステリー

ハルビン駅の駅前広場は
中国の中央駅である北京駅のそれよりも
広く立派であるように見えます。

中国留学・北京事情・中国の大学-加藤嘉一

さて、このハルビン駅、
日本に関わる歴史的な事件がここで起こっていました。

伊藤博文暗殺事件

中国留学・北京事情・中国の大学-加藤嘉一

1909年(明治42年)10月26日午前9時半過ぎ、
ハルビン駅にて韓国人青年の安重根の凶弾に倒れる。

日本では、歴史の時間でこう習うのが通例でしょう。

ところが、この事件には
アメリカのJFK暗殺事件のように
?が付きまといます。

安重根による殺害ではなかったかもしれないという説です。

中国留学・北京事情・中国の大学-加藤嘉一

小柄な体格の安重根は駅のホームに降り立ち
儀仗兵を閲兵していた伊藤博文を
下の方から狙って撃っていたそうです。

しかし、伊藤博文の治療に当たった医師は、
彼の体に残った3発の弾丸が
いずれも右上から左下に入ったものだとの所見を述べ、
伊藤博文の側近であり当日も同行していた
衆議院議員の室田義文も
「ハルビン駅2階の食堂から、斜め下に向けて
 フランスの騎馬銃(カービン銃)で撃ったものがいた」
と30年後になってから明かしていたそうです。

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仮にこうした証言が真実だったとすると、
伊藤博文の体に残った弾痕の軌道通りに
右上から左下にかけての弾を撃つには、
犠牲者の下から狙うのではなく、
どうしても上から(2階から)狙う必要がでてきます。

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安重根がこの事件の犯人でなかったのだとしたら、
真犯人はいったい誰であったのでしょうか?

当時、韓国を併合しようと目論んでいた
日本のイケイケ軍国主義の一派にとって、
それに反対する伊藤博文は邪魔者であったようです。
「邪魔者は排除するしかない」
動乱の時期において、
こうした判断が働いても不思議ではありません。

ひょっとすると、伊藤博文の暗殺事件には、
こうしたいきさつがあったのかもしれません。

しかし、その真相は結局のところ藪の中であり、
今後も解明される可能性は少ないでしょう。


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2006年8月21日(月)

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