前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第30回
迷っても間に合いました

新しく大型の機械を入れるなら、
もう少し立地の良い大き目の店が必要でした。
今度も新聞で捜し、不動産屋に通い、町も歩きましたが、
なかなか店舗は見つかりません。
その間に売り上げは目だって減ってきていました。
普通なら最盛期を迎えても当然の年なのに
新しい機械と新しい店で又やり直しです。

そんな時、毎日その前を通る度に目に入る
「貸し店舗」の札が窓に貼ってある店が目に止まりました。
それはかなり長い間貼ってありました。
乗り降りのお客が一番多い駅に隣接していますが、
我々の近所の歩行者天国とは反対側で、
客が広い道を渡ってそちら側まで来てくれるものか、
我々には皆目見当がつきませんでした。
「歩行者天国側はべら棒に高いし、
他にないのだから駅の傍ならまあ良しとすべきかな」
という程度の感じです。

そしてある日、再考の末ににやっぱり申し込むことにしました。
その店はもう開いてはいませんでした。
コンピューター屋のような名前が壁に残っています。
しかし、どうも我々には広すぎて
構えも家賃ももったいないように見えました。
大きなショーウィンドーを覗くと
内装は新品でそのまま使えます。
我々としては迷ったあげくの電話でしたが、案の定
「すでにコンピューターを売る店が2組も申し込んでいるから
多分ダメだろう」
との返事でした。
という訳でその店は諦めていたのですが、
ダメとなると結構そこは良かったかなという気もしてきます。

ところが後で忘れた頃に返事がきました。
電話をしてから3週間以上は経っていました。
「店を貸してもよいので話し合いに来てくれ」との事でした。
話を聞くとそこは4、5年前からコンピューター屋で、
代々潰れては入れ替わることが続いてるそうです。
今度の店も開店半年でこの状態になったとのことでした。
管理している弁護士事務所が
「コンピューター屋はもう嫌だ」ということで
残った我々に回ってきたのでした。
管理会社の請負だから手間ばかり何度も掛かるのは損なのです。
「船乗り未亡人協会」の建物で
弁護士が管理会社を通して管理していました。


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2004年8月27日(金)

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