前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第79回
春巻き王子―ヘミング・ヴァン

「中国ビジネスのススメ」の柳田さんが驚いた、と書いていらした
上海飯店は、私が来た1969年にはすでに営業していました。
この歩行者天国にある一等地の建物は、
春巻きで一儲けした中国人が何人か集まって買ったものでした。
春巻き作り1960年から始まり、
工場はコペンハーゲンに有って手作りでした。
今ではこの貸し店舗の家賃だけで生活している人もいます。  
その中で春巻き工場経営者仲間の筆頭で、
最後まで残ったヴァンという中国人が、
ユトランド半島に本格的な工場を建てました。
1935年からデンマークに住んで、
農業専門学校で学んだヴァンさんも、
40歳になってから起業したのでした。
のちに春巻き王となったヴァンさんも、
最初はたった6個のフライパンで春巻きの皮を作ったのです。

デンマークでは1970年代の終わりに
野球とソフトボールのリーグ戦が始まりました。
その時高校の生徒が自分達で道具を揃え、
経験者がほとんどいない中で練習して
参加してきたチームがありました。
それも男女2つのチームでソフトボールに参加していました。
女子のチームには体は小さいけれど、
その頃一番早い球を投げるピッチャーがいて、
それで何とか試合になっていました。
しかし男子の方は出ると大敗が続き、
同じように始めたばかりの小さな町のチームと
最下位争いをしていました。

そこで私はその高校へ冬の間、
隔週日曜日に教えに行くことにしました。
体育館で室内用のボールを使って
基礎練習やミニゲームをしました。
終った後は男女が混じってシャワーを浴びます。
私が以前に通った幼児教育学校でもおなじ風呂場だったし、
妻が通った夜の体操教室でも
シャワーが男女一緒で妻は驚きました。
そのチームにいたひょうきん者ヘミング・ヴァンが、
春巻き工場の経営者の息子でした。

後に大学を出たヘミングは
女子チームのエースと結婚して、
会社を拡張するためにイギリスに引っ越していきました。
その彼がいつの間にか帰って来て、
テレビのコマーシャルに突然出てきて、
コミカルに春巻きの宣伝をしたのにはビックリしました。
先日の新聞では移民の成功例として、
3ページに渡る彼の記事が載っていました。
最近は移民の2世が適応できなくて、
色々問題を起こす記事が多いので、
移民2世の成功例を新聞が大きく載せたのかと思います。


←前回記事へ

2004年11月4日(木)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ