前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第141回
少しだけ、頂戴するのが何故悪い

「お金があれば誰でも親切になるよ」
デンマーク人の親切について話をすると、そう言う人がいました。
彼によると、知らない人にも親切になれるのは、
経済的な心配が少なくて心に余裕があるからだ、ということです。
しかし、満ち足りると人は他人に無関心になることもあるし、
余裕が有れば自動的に親切になるわけでないようです。
人情が存在するためには衣食住が足りることが、
どこの世界でも必要条件でしょうが、
ギリギリの生活でも人情は存在します。
私の友達は、アフリカの最貧国でさえ食べ物をもらいました。
アフリカの国の多くは、社会保障などという余裕がないせいか、
個人の助け合いは当然のように行われるようです。
食料危機になると、お互いに助け合っても絶対量が足りないので、
貧乏な人も物持ちも分け合って、
一斉に飢餓が発生してしまいます。
もしかしたら、助け合いが必要な世界は、
それが人情とか人の道とか言うより、
持っている物を放出しないと危険なのかもしれません。

私達が西アフリカを旅した時に、デンマーク人のガイドは
「こうやれば収穫が増える、と農業の指導をしても
一定量以上は作ろうとしないのです」
と、言っていました。
“欲も知恵のうち”の知恵が無くて悲しい現状だ、という感じで
解説してくれました。
でも、欲を出して蓄積しても、
周りの人が飢えれば分けなければならないとしたら、
必要な量以上は作らないのも分かる気がします。

グリーンランドではタバコや食べ物を
「持っていれば分け与え、無くなったらいただく」ことが、
常識になっているようです。

ロシア人と一緒にいると、物を分けてくれるので
“ロシアは人が良い”と思います。
しかし、黙っていただくのもロシアの流儀だそうです。
運送をする人達が荷物を少々いただくのも、
資本主義でなかった今までは、
別に隠す事もない普通のことだったようです。

南アフリカの地元の人なども勝手にいただくくちで、
食物棚は召使よけに鍵をかけているそうです。
雇い主という者は、
セコいとか、不人情とか、ケチとか、細かいとか、
人間らしくない者だとか、思われるのでしょうか?
「所有」の捕らえ方が国によって違うので
“細かい”“ずるい”“汚い”と自国の常識で判断するのです。
繰り返しになりますが、
盗まれる側も黙っていただく側も、
自分達の一方的な基準で相手を判断するにすぎません。


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2005年1月28日(金)

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