前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第220回
アンデルセンの白い足跡

アン・マーグレット(アンマガリータ)に
日本語の発音で
「あんまがぉりた(按摩が降りた)」
と呼びかければ振り返ってくれます。
丹下左膳に出てくる少年と向かい合っているつもりで
「チョビ安!」と呼べばトビアス君は返事をしてくれます。
日本語と同じ発音と抑揚でだいたい大丈夫です。
「ターさん」と言えばデンマーク語ではターザンで、
「スーさん」と呼べばスーザンのことですが、どうもこっけいです。

「ギョイテとは俺のことかとゲーテ言い」
という川柳がありましたが
「アナセンとは俺のことかとアンデルセン」
と言うわけで、
今年はアナセン(と日本語でアンデルセンに呼びかければ
振り返ってくれます。多分。)生誕200年だそうです。
1年を通して催し物もあるようです。

私は旧市街の端にある自宅から、
店のある反対側の端まで、毎日徒歩で仕事場まで通っています。
その石畳の道に、ある日、靴の足跡が白いペンキで描かれていて、
それがどこまでも点々と続いているのでした。
最初は落書きだと思っていました。
というのも、数年前から町の道路のあちこちに、
ポツンポツンと足跡だけの落書きがあったからです。
妻に教えられて、それが、
アンデルセンのしばしば通った場所に通じるように描かれている、
と知りました。

先日、天気の良い日曜日、
私達はアンデルセンの足跡をたどって街を歩きました。
足跡は、その頃から開業していて、
よく通ったレストランなどに寄り道をしています。
そういった建物には、説明の札が壁に取り付けられてあります。
それによると、アンデルセンの生きていた頃のコペンハーゲンは、
賃貸マンションに住むのが普通だったそうです。
そのマンションを頻繁に引越しするのが、これまた普通で、
毎月決まった日が「引越しの日」と呼ばれていたそうです。
その日になると引越し荷物を担いだり、
荷車に乗せて引っ張ったりする人で、通りが埋まるのでした。
そういうわけで、アンデルセンも引っ越しが多くて、
町のあちこちに「元アンデルセンの住んでいた家」というのが
たくさんあります。

たどっているうちに、おかしな店の前で足跡は止まりました。
100年以上前にそこにあったとは思えない、ゲイバーの前でした。
そういえばアンデルセンにはホモだったという説がありましたが、
これは足跡を勝手に描いて便乗した宣伝ですね。
当時は、同性愛は珍しがられることでもなくて、
ごく普通の趣味(?)だった、
との解説もどこかに書いてありました。


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2005年5月19日(木)

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