前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第308回
学歴編重症日本

ベートーベンは
「私は誠実さ以外では人が人にまさっていることを認めない」
というようなことを言ったそうです。
各々の分野でトップに上り詰めれば、
正論を言うことも少しは易しいです。
それでも立派な人格を感じさせる言葉ではあります。
「そうするぞ」という宣言か、努力目標かもしれません。
音楽家なら普通は、才能ある音楽家を尊敬し、評価し、
あるいは嫉妬するのでしょう。
人をPCに例えれば、どんなに優秀なPCでも、
嘘つきなPCは役に立たないだけでなくて害があります。

人は懸命にやってみて、自分が出来なかったことがあると、
それが出来る人を尊敬し、評価するようです。
私にとって、100mを10.4秒で走れる人は単なるたいした人です。
その100m10.4秒の人は、
10.2秒で走ったことのある人を尊敬するそうです。
門外者の私達は、世界記録はすごいと思っても
10.2と10.4の違いは分らないし、
努力や才能の違いもよく分りません。
「たった0.2秒でも縮めることが、
どんなに大変な努力がいるか知っているからだ」
と、陸上競技の短距離走者の誰かが書いていました。
元々早い人もいるので、
努力に結果は比例はしないのは私達も知っています。
まあ、そのレベルになると0.2秒縮めるのがそれほど大変なので、
そういう気にもなるのでしょう。

学校は皆が経験するので、
勉強のできる人はいつまでも尊敬を受けやすいようです。
特に私達日本人は受験勉強をしたことがある人がほとんどなので、
大人になっても難関大学出身者は幅が利きます。
外国に投げ出されてみれば、
誰も日本の出身学校などには、
一目も置いてくれないことに気づかされるのですが。

昔コペンハーゲンに住んでいた元ヤクザの人も言っていました。
「ここで”いき”がっていてもしょうがないしね」

努力や能力はどこでもすぐに役に立ってくれるでしょう。
しかし、学歴やヤクザのなんとか組の肩書きのように、
国が変われば通じないものは幻想だと思います。


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2005年10月4日(火)

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