死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第6回
期待すれば裏切られる

学歴がないために社会に出てから悔しい思いをさせられた人は、
自分の息子を何が何でも東大に入れたがるそうである。
その気持もわからないではないが、
私などは東大の楽屋裏も一応は知っているから、
本人がコンプレックスの塊りにならないですむなら
学歴などどうでもいいじゃないかと思っている。

息子たちもそのへんの呼吸はちゃんと呑み込んでいるから、
「勉強の方はオヤジの方が僕たちの分までやってしまったから」と、
なるべく努力しないで卒業のできる大学ですませてしまった。

それはそれで一向にかまわないのだが、
親というものは、自分がやりたくてできなかったことや、
自分になかったものをとかく子供に要求したがる。

私の場合は、常々「期待すれば裏切られることが多く」
「子供に過大な期待をすることは禁物」と
自分に言いきかせているので、
たとえ娘や息子に家出をされても
泣きべそはかかないだけの覚悟はできている積りである。

しかし、そういう立場にいても、
いざ息子が結婚するとなると、
やはり幸福な家庭生活が営めるように、
結婚が社会生活を送る上での
よい門出になるようにと願うことになってしまうのである。

家へ帰って、女房に息子から一本とられた話をすると、
さすがの女房も大笑いをして、
「金持ちの家から嫁を迎えるよりも、お嫁に来た人が
私たちとうまくやって行けることの方が大切ですからね。
その点、かおりさんなら、
気立てがいいから、まあ、いいでしょう」
ということになった。

戦後の日本の子供のしつけ方は、
私たちから見るとかなりいい加減で、
金持ちと一口で言っても成金が多いが、
親が金儲けに夢中になって子供にかまっておられなかったせいか、
俄か成金の家ほど子供の育ち方が悪い。

たとえば、私の家では親に口答えするのはタブーであり、
息子が口答えしようものなら、
子供の時でもかまわずに横っ面を張った。

大きくなって、息子の背丈が女房のそれより高くなり、
体力的に母親の方が明らかにかなわなくなっても、
息子が捨てゼリフを投げて出て行こうとすると
その背中に向かって、
うちの女房はスリッパを脱いで力一杯投げつけたものである。

親の権威というものは、私たちの家では絶対的なのであり、
昔も今も少しも変らない。
ところが、近頃の三面記事を見ていると、
親に各められた息子がバットで親を殴り殺したり、
殺さないまでも暴カをふるって家中をふるえあがらせている。

挙句の果てに、見かねた父親が息子の首をしめて殺した事件も
一回や二回ではない。
そういう記事に接する度に、
昔はそんなことは皆無に近かったのに、
どうしてこんなことになったのだろうか、
やはり近頃の日本の家庭教育が悪いのだろうかと
首をかしげてしまう。





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2012年11月27日(火)

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