死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第49回
上手に死ぬには

たとえば、いつまでも若さを失わない人は、
ほとんど例外なく、中年以後になってから、
事業に失敗していない人たちである。

よく「健康法は何ですか?」と質問されることがあるが、
中年以後の最良の健康法は、ゴルフをやることでもなければ、
テニスをやることでもなく、
事業に失敗しないことであると私は言いたい。
では、中年以降、絶対に事業に失敗しない方法が
はたしてあるであろうか。

私は
「それはある。事業をやらなければ、先ず絶対に失敗はしない」
とへらず口を叩いているが、
しかし、年をとって何もしないと、緊張感がなくなるから、
むしろ早くボケてしまう。
ボケないためには、常に緊張感を味わっていなければならないが、
健康を害しないためには、逆に失敗しないことが要求される。

それ自身、
矛盾したことを同時にやらなければならないわけだから、
そのへんの調整をうまくやらなければ、
上手には年をとれないのである。

人間、若い時は何のために働くかと聞かれれば、
年をとった時のために働くと答える。

では年をとったら何のために働くかと聞かれれば、
ぶざまな死に方をしないために働くと答える。

手っ取り早く言えば、棺桶に蓋をした時に、
「いい人生でしたねえ」と言われるために、
一生を賭けているようなものである。

この意味で、上手に死ぬということは
とりもなおさず上手に生きるということであり、
何が上手な生き方か、というところまで戻ってしまうのである。





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2012年1月25日(金)

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