死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第69回
「いい人生だった」と言われたい

そう言っても、棺桶の蓋をする時に、
「あいつの人生はいい人生だったなあ」
と周囲の人たちに言ってもらいたい虚栄心は誰でも持っている。

私のように、評価の定まらない部分を持ち、
今後も、このままで終らないかもしれない未知致の人生でも、
「僕の今日あるは、あの人のおかげだ」
と心から思ってくれる人の
五人や十人はいるように心がけたいと思っている。

そういう人たちを一人でも増やしたかったら、
人間は私利私欲の上にいつまでもアグラをかいてはおられない。

そろそろ死を考える年齢になると、
突如欲望の内容が変わり、利よりも名を重んじるようになる。
一人で道も歩けないほどヨボヨボになった老人が、
勲章を手にして子供のように打ち興じている様を見ると、
「勲章」という制度を発明した人間は、
おそろしいほどの人間通だったんだな、という気がしてくる。

この意味で、国の政治にたずさわる人は
すべて無報酬にして、勲章だけあげることにしたら、
案外、うまく行くのではないかと思う。

無報酬でもやりたがるのは、
利害を超越する心境になってからであるから、
そういう心境の人に国政を司ってもらい
報酬はすべて勲章で代用すれば、
国家財政の赤宇などたちまち解消してしまうのではあるまいか。

ついでに申せば、香典なども葬式の時にもらうより、
死ぬ前にもらえるような制度に切り換えた方がよい。
「死んで香典くれるなら生きているうちに、
私の望みを叶えさせて下さい」と言って
知人の間を奉加帳を持ってまわり
社会事業の基金を募集した人があると聞いたが、
これなどいいアイデアだと思うが、
少なくとも葬式のドサクサに香典泥棒にまぎれ込まれて
ごっそり持ち逃げされる心配はない。
この調子ですすめば
「葬式革命」に一歩一歩近づいているということができよう。





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2012年2月14日(木)

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