それに比べると、東南アジアの国々は長期資金の投入には制約を設けているのに、短期資金の導入は歓迎してきたし、自国企業がドル建てで外国の銀行から借金をすることにも寛大だった。
こうしたかたちでタイに投入された外資は、一説によると八百億ドルにものぼるそうである。ところが、その間に中国の開放政策がすすみ、しかも人民元が一ドルに対して五・五元から八・三元まで切り下げられたので、国際市場で中国製品と競争するのはかなりしんどいことになった。国際収支も思うように黒字化しない、株や不動産への投機もほぼ頂点に達した、ということになると、あとはじり貧相場に変る。そこへ投機筋がバーツ売りを仕掛ければ、半熟の卵が一瞬にして茄で卵になってしまうようなものである。油断していたタイをはじめ、マレーシアやフィリピンの諸国は不意をつかれたことになる。
バーツ売りはタイが固定相場制を離れる数ヵ月ほど前から始まった。タイの中央銀行は必死になって防戦に努めたが、猛烈なバーツ売りの攻勢に万策尽きて、とうとう一ドル二十六バーツの基準レートを維持することを断念せざるをえなくなった。
なにしろ獲物はないかと投機資金が世界中を動きまわっている。いったん狙いを定めたら、ドッと一点に集中してくるから、発展途上国の中央銀行総裁どころか、日銀総裁でも、米連邦準備制度理事会の議長でもなすところを知らなくなるといわれている。
バーツの大量売りが出て、ドルが高くなりそうだという噂が出ると、それだけでいっせいにバーツ売りに拍車がかかる。為替の利ザヤ稼ぎを目的とした投機資金がドル買いにまわるだけでなく、ふだん投機とほとんど縁のない一般預金者までドル買いに走るようになる。
バーツ売りの実情を知りたくて、私が九七年八月中旬にバンコク入りをしたときはおかげで一ドル二十六バーツが三十バーツになっていた。下旬に東京に帰りついたときは三十四バーツ、そして、十一月にはとうとう四十バーツまで暴落してしまった。わずか四ヵ月でバーツの対米ドル相場は三七%も安くなってしまったのである。バーツ売りに成功した投機筋は大喜びだろうが、バーツ安によってタイの産業界が受けたショックには余人の想像を許さない深刻なものがある。
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