ドルを稼ぎすぎた日本の罪と罰
(1998年1月30日執筆  『Voice』98年4月号発表)
アジアの国々に比べると、日本の立場はかなり違ったものである。地理的には日本がアジア圏内にあることは間違いないが、「日本はアジアの一員ですか?」と聞かれたら、「ハイ、そうです」と素直に答えきれないわだかまりが日本とその他の国々の双方ともにある。
かつて私は『日本人はアジアの蚊帳の外』(PHP研究所刊)という本を書いたことがあるが、明治以後の日本はアジアからはみ出した道を歩いてきた。アジアの国々が欧米諸列強の蚕食にあって、植民地や半植民地にされた時期に、日本は富国強兵に成功して、帝国主義諸国の一員に加わって近隣を植民地化したために、アジアの国々とは反対の立場に立ってしまった。
第二次大戦後は、アジアの国々が植民地解放されるのと反対に日本は敗戦国として四つの島のなかに押し込められてしまったが、丸裸にされた日本人が選んだ道は、(じつはそれ以外に選択の余地があったわけではないが)工業化への道であった。資源も資本もなかった日本の国で九千万の人口を養っていくためには、外国から安い原料を仕入れてきて、加工して手間賃を稼ぐ以外にメシにありつける方法がなかったのである。
最初のころは、綿花や鉄鉱石を仕入れてきて、糸をつむいだり、鉄をつくったり、さらにそれを加工して製品をつくったりしたが、鍋釜や衣料品からはじまって、やがてミシンやカメラや腕時計になり、さらには造船、家電、自動車の分野で先進国と互角の競争ができるようになり、ついに半導体や電子工業の世界でアメリカと雌雄を競うまでに成長した。
そこに至るまでの道はけっして平坦なものではない。何回となく外貨不足や構造不況に悩まされ、ニクソン・ショックや石油ショックに見舞われ、そのたびに困難を克服して一廻りも二廻りも大きくなったが、成長が続いているかぎり、パイのふくらみが七難を隠したので、国ごと大きく揺さぶられるようなひどい目にはあわないですんだ。ほんとうに日本がトラブルに見舞われるようになったのは、日本経済の輸出体質が定着するようになってからである。国際競争力がついて、メイド・イン・ジャパンがアメリカをはじめ、全世界の市場を席巻するようになると、日本にドルが貯まるようになった。
ドルが貯まるということは、日本の産業界がそれだけお金を儲けるようになったということだから、労働界も分け前を要求するようになるし、会社や株主にも蓄積ができてきて再投資のチャンスが増えることになる。高度成長の初期には「せめてヨーロッパ並みの賃金を」というのが総評の賃上げ運動のキャッチフレーズであったが、惰性のついた賃上げはブレーキがきかなくなり、ついに日本を世界一賃金の高い国に押し上げてしまった。
賃金が高くなっても、生産性がそれを上回れば、賃金が支払われなくなる心配はない。
しかし、日本が貿易黒字国になれば、赤字になる輸入国の支払い能力が問題になるから、バランスをとるために為替レートは自然に円高になる。円高になれば、商売がやりにくくなるから、それを防ぐために輸入を増やしてインバランスを修正すればいいのだが、日本の役人や政治家にはそういう発想がないから、黒字が増えるに任せる。すると、また円高になる。円高のなかで採算を合わせようと思えば、省エネとか、自動化によってコストダウンを図るよりほかない。
職人の国・日本ではもっぱら生産性の向上と合理化で円高に対応することしか念頭になかったので、結果としてさらにいちだんと円高を招くといういたちごっこになってしまった。そして、気がついたときは日本は世界中に商品を提供する生産基地としての条件を喪失して、賃金の高い、かつ通貨の強い国になってしまったのである。
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