つまり先行きを不安視して節約するムードが解消しないかぎり、減税による臨時収入があっても警戒ムードが解けないばかりでなく、お金を使わないですませようとする姿勢が依然として続くのである。
このことは不況に対する警戒ムードのあるなしにかかわらず、消費意欲がかなり後退しているということにほかならない。物をつくれば売れた時代とは明らかに一線を画する「人の欲しがらない物はいくらつくっても売れない時代」になったのである。どうしてそういうことになったかというと、昭和三十五年から約三十年間続いた高度成長によって、日本は物の不足した時代から全体としてほぼ充ち足りた時代に変って、人間にたとえれば、背丈の伸びる時代から体格のほぼ一定したオトナの時代になってしまったからである。
たしかに、この三十年あまりで日本は見違えるほど豊かな国になった。自らの意思でホームレスを選んだ人は別として、住む家のない人はいなくなったし、全国で登録された車両が七千万台もあるということは国民の二人に一台以上の車があるということである。こんなことは敗戦後の灰燼の跡に立った人々には想像だにできなかったことである。
もちろん、アメリカやヨーロッパの人々に比べたら、住宅事情はまだ十分だとはいえない。だから消費を拡大しようと思えば、住宅スペース倍増運動を政府主導で展開する余地がまだ残っている。しかし、高度成長時代に採用されてきた税制と、生産中心の経済政策と、自由競争や合理化を妨げるさまぎまの規制が存在しているかぎり、パイはもう膨らむところまで膨らんで、これ以上は大きくならない状態になってしまった。
もとより、これで何もかも充ち足りて成長がまったくとまってしまったということではないが、いまの賃金、いまの為替レートの下では、日本が優位に立っていた国際競争力もほぼ限界に達してしまった。と同時に日本より賃金と通貨の安い東南アジアの攻勢の下でタジタジになっているのが現状である。そういう状況下で財布の紐を締めれば、欲しい物は一通りそろったあとだけにどうしても購買意欲は衰える。
たとえば、一台目のテレビを買うのと、二台目のテレビを買うのと、また部屋ごとに置くテレビを買うのとでは、必要性の度合いは大きくおちる。同じように一台目の自家用車と二台目、三台目の車では、スポーツカーとかRVとか、用途に違いはあっても、車を手に入れようとする切実さに大きな違いがある。また家を買う場合でも、はじめて手に入れるマイホームと避暑地にもつセカンド・ハウスとでは心のなかに占める満足度に天と地ほどの違いが出てくる。
人それぞれの懐具合によって、最高級の贅沢のできる人もあれば、マイホームの頭金がやっとという人もある。比較的貧しい生活をしている人にはまだ欲しい物はいくらでもあるだろうが、全体としての富の増加が頭打ちになれば、それぞれの貰い分もまた頭打ちになる。したがってそれぞれの分に応じて買える物を一通り買ってしまえば、もう欲しい物はなくなる。社会全体がそういう時期に入ってきたのと、不景気になるのが時を同じくしているから、景気を刺激すれば、すぐにも物が売れるようになると思うのは間違いで、全体として物を売る経済は後退期に入ったと考えてよいだろう。
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